将棋の対局でたびたび話題となる“おやつ”。対局の結果と同じくらい、棋士が対局中に食べるおやつの内容に注目が集まっています。なかでも人気を博したのは、竜王戦第2局で藤井聡太竜王が選んだ「くま最中」。テディベアのような見た目のかわいらしさもあって、竜王戦から3か月以上経つ今も完売が続いています。「くま最中」の製造秘話や、中身の秘密について、販売する京都市の和菓子店「御室和菓子 いと達」店主の伊藤達也さん(37)、妻の万理さん(38)に話を聞きました。
わずか2時間で完売!竜王戦の「竜」をイメージ
竜王戦第2局が行われた京都の総本山・仁和寺。そこから歩いて5分ほどの閑静な住宅街に、和菓子店「いと達」はあります。大変な人気を受け、12月中はくま最中の販売は昼の12時から。取材に行ったこの日は、わずか2時間で完売を知らせる立て看板が出ていました。
藤井聡太竜王が2021年10月22日の対局一日目のおやつに選んだ「くま最中」。竜王戦バージョンとして特別に作られ、蝶ネクタイには鱗を模した金箔をあしらい、足元は玉を爪で掴んでいる龍をイメージしています。くま最中とともに、あんこと雪平(もち)をティーカップに流し込んだ「あんと塩きなこ」も提供されました。
藤井竜王は「動物スイーツ」好きで知られています。これまでも対局中のおやつに食べた、犬のケーキ「コロコロしばちゃん」、ヒヨコの見た目をした「ぴよりんアイス」が大ブレイクしてきました。くま最中も「藤井フィーバー」の例に漏れず、たちまち話題となり、Twitterのトレンド入りも果たしました。竜王戦翌日の23日には、開店前から住宅街を取り囲むように行列ができ、最大2時間待ちという大盛況ぶり。万理さんは「普段は並んでいたとしても3組くらいです。竜王戦から1か月くらいは電話も鳴り止まず、SNSの通知がずっと来ているような状態でした」と振り返ります。
対局中のおやつは、対局が開催される会場側が用意し、3〜4種類の中から事前に選ぶのが一般的。対局前日の夜、仁和寺から連絡を受け、藤井四冠のおやつに決まったことを知ったそうです。
実は、昨年の竜王戦でも、いと達のおやつが提供されています。店の看板商品であるカラフルな「包み餅」を羽生善治九段、豊島将之九段の両名がおやつに選んだそう。「初めは去年食べてくれた豊島さんが選んでくれたのかと思いました。(藤井四段と聞き)やっぱりかわいいおやつが好きな方なんだなと思いました」と万理さんは喜びます。
偶然にも店主の伊藤さんは、藤井四冠と同じ愛知県出身。竜王戦後は愛知からわざわざ訪ねてくるお客さんが圧倒的に多く、地元トークに花を咲かせているそうです。伊藤さんは「愛知県民の将棋熱に驚かされましたね。地元から来てくれるのはすごくうれしいです」とほほえみます。
くま最中ができたワケ 見た目だけでなく中身にもこだわり
実はくま最中は元々、販売するために作られたお菓子ではありませんでした。昨年11月、仁和寺で企画されていたプライベートツアーのアフターヌーンティーでのみ提供される、オリジナルのお菓子として作ったそうです。しかし、新型コロナウイルスの再拡大を受け、イベントは中止に。余ってしまった材料を使おうと、バレンタインのお菓子として、チョコレート入りのくま最中を昨年2月に発売したのが始まりでした。
くま最中は常時4種類を用意。販売当初からあるリボンバージョン、コロナ禍を意識したマスクバージョン、藤井四冠が食べた竜王戦バージョン、そして季節ごとに変わる限定バージョンです。季節限定のくま最中は、クリスマスはサンタ、お正月はトラといったように、1か月ごとに違う見た目が楽しめます。七十二候や二十四節気で意匠が移ろう京都の上生菓子と同じように、最中にも季節感が込められています。
見た目だけでなく、中身にもこだわりが詰まっています。最中のあんは一般的なつぶあんではなく、黒糖を使ったこしあん。そこに、発酵食品に似た独特の匂いとクセのある「一休寺納豆」を炊き合わせています。「使いにくい食材を使って、クセのあるもの同士をかけ合わせた方が面白いのではないかと思いました」と伊藤さん。黒糖ならではのまろやかな甘みのあんの中に、ほんのりと塩気が効いた、他にはない味わいが楽しめます。
竜王戦から3か月が経っても、およそ3時間で完売してしまうそうで、人気に終わりは見えません。お店は伊藤さんと万理さんの二人で切り盛りしているため、製造できる個数には限りがあり、「茶道教室などから定期的な注文が入っている時はバランスよく作れず、すごく少ない日もあります」(万理さん)とのこと。今後はレシピの公開を考えており、自宅でかわいいくま最中を作れるかもしれません!
若い世代にも和菓子に親しみをもってもらおうと作られたくま最中。全国各地から若者や“クマ推し”の人々が来店し、その役割を果たしています。くま最中を買うついでに普段は買わない和菓子を買う人も増えており、和菓子に親しむ「きっかけ」になっているそうです。1月からは開店時間の10時から販売するとのこと。京都を訪ねたらぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?
取材・文・撮影/荘司結有