都議会議員の龍円あいりさんは、ダウン症のある息子、ニコくんを育てるシングルマザー。日本初となる、誰もが一緒に遊べる「インクルーシブ公園」の設置や、都内電車に「子育て応援スペース」を設けるなど、障害児支援、子育て支援を中心に活動している。
2021年東京都都議会議員選挙で再選を果たしたばかりの彼女が、常に前を向き続けられる理由はどこにあるのか。原動力となっている実体験と、これからの目標について話を聞いた。
求める支援につながらない、マイノリティが感じる孤独
「日本の支援は遅れている」と語る龍円さん。その言葉の背景には、ニコくんを出産したアメリカでの体験が大きいという。
「日本と大きく違うのは、産後すぐに行政のスペシャルニーズ支援に特化したケースワーカーとつながれること。子どもに診断がついた時点でサポートセンターに電話をかけると、すぐにケースワーカーが中心となって支援チームを編成してくれます。
チームはケースワーカーの他に、医療関係者、療育関係者、教育関係者と保護者等によって組織され、子ども一人ひとりのニーズをアセスメントし、具体的な支援策が講じられますし、子どもが赤ちゃんだと、すぐに早期療育につながります。
私が住んでいた地域ではグループ療育も充実していて、同年代のスペシャルニーズのあるお子さんたちと共に、プロフェッショナルなスタッフによる発達分野に応じた支援を、週に1~2回受けることができました。
そこで出会ったママパパたちがみんなすごく楽しそうに笑っていたのも、とても印象に残っています。
辛いこと、不安なこと、楽しいことや喜び、いろんな想いを包み隠さず共有できるのは、同年代のスペシャルニーズのある子を育てる親同士ならでは。
強い結びつきが生まれ『一人じゃないんだ』と思えたことで、子育てを楽しむことができました」
一方で、龍円さんがニコくんを連れて帰国すると、日本の障害児支援は世界からかなり遅れていることに気がついた。産後すぐに子どもに障害があることがわかっても、すぐに必要な支援や仲間にはたどり着かない。
「アメリカでは、子どもにスペシャルニーズがあることを発見したら、3か月以上待たせてはいけないと法律で定められています。一方、日本だと療育につながるまでに時間がかかり、地域によっては1年以上待たされることもあると聞きます。
告知の際に親が本当に知りたいのは、どんな育児になり、どんな人生を歩むのか。こうした情報を病院で得るのは難しく、すぐに支援にも結びつかない。
日本で出会ったスペシャルニーズのある子の保護者に話を聞いてみると、産後の病室では、ほかのご家族が笑顔いっぱいで祝福されているなか、自分だけ笑えず、希望の見えない真っ暗闇にいるような、孤独で辛い経験をしている方が本当に多くいらっしゃいました。
ネット検索によって不安を一層煽るような情報を目にすることもあり、さらに暗く沈み込んでしまうこともあるようです」
出産直後から母親に襲いかかる不安と孤独。支援体制が整わない日本では、退院後も同じ状況が続きやすい課題も。
「孤独な中でお子さんの健康面での心配などをしながら、スペシャルニーズがあることに向き合い、受け入れ、前を向いて歩み始めるのは、簡単なことではありません。
他の親子が集まるような場所に行くことを避けたり、子どもと二人っきりで家に閉じこもってしまって、どんどん孤独になっていく悪循環に陥ってしまう人も少なくないんです」
母親の孤独は、障害のある子を育てる母親だけが感じているわけではない。ひとり親といったマイノリティや産後うつに苦しむママ、ワンオペ育児が続いている場合もそうだろう。
孤独を救う「みんなが一緒に居られる場所」が公園だと思った
帰国後、日本の現状を知った龍円さんは、自分にできることを模索し、ダウン症児を育てる親同士のコミュニティの場「DS SMILE CLASS」を立ち上げた。
ここから、彼女の「インクルーシブな社会」を目指す活動がスタートする。
「アメリカの支援体制や療育情報を日本で発信することで、何かが変わるきっかけになればと思い、まずはブログを始めました。
コミュニティクラスを開いたとき、0歳~1歳のダウン症の子を育てる親御さんをお招きしてびっくりしたのは、会場である東京に来てくださったのが、北海道や青森、金沢など遠方に住むお母さんたちだったこと。
私はダウン症の専門家ではなく、ただの一保護者に過ぎないのに、私の話を聞くためだけにダウン症のある赤ちゃんと飛行機に乗り、ホテルに宿泊してまで参加してくださるのには、一体どんな想いがあるのだろうか、と。
お話を聞くと、東京都以上に孤独で、支援や情報がない地域があることがわかりました。同時に、同じダウン症のあるお子さんを育てる親に会いたい、生きた情報を知りたいといった、渇望のようなニーズがあることを知りました」
この経験をきっかけに、龍円さんは本格的に活動をはじめ、障害のある子もない子も、みんなが一緒に遊べる「インクルーシブ公園」の立ち上げへと向かっていく。
「帰国して公園に遊びに行くと、地面は砂や砂利。まだ歩けなかったニコがはいはいで移動するのには難しく、遊具はどれも危険でした」
アメリカには、障害のある子が遊ぶことを考慮した安全基準があり、帰国するまで一度も公園が「遊びにくい」と感じたことはなかったそう。
公園で遊べない子の姿は見えにくく、都議会で提案すると「公園で遊べない子がいることに、これまで気がつかなかった」というリアクションが返ってきた。
また、障害のあるお子さんを育てる保護者からは、「我が子と公園で遊ぶことは、最初から諦めている」といった声も多くあり、日本の公園は健常児の遊び場所であることが社会の常識になってしまっていることもわかった。
インクルーシブという単語には、「仲間になる、共に」というニュアンスがある。
龍円さんは、「誰もが仲間として一緒に遊べる」インクルーシブ公園の存在が、障害のある子とその家族が地域に出やすい場所になり、インクルーシブなコミュニティが地域に育っていくきっかけになると話す。
「スペシャルニーズのある子の親にとって、特にお子さんが小さいうちは、子どもたちが集まる遊び場に出ていくことをためらう場合があります。
身体的なハンデがない場合でも、他のお子さんに迷惑をかけてしまうのではと懸念したり、視線が気になってしまう自分自身に不安を感じてしまったり。
でもインクルーシブ公園であれば、遊びに行こうと思ってもらえるきっかけになる。公園でお子さんが楽しく遊べれば、また来ようと思ってもらえる。
ママ友ができたり、地域の人たちとつながっていく機会になる可能性があります」
子どもたちは遊びの天才。一緒に遊べる場所さえできれば、違いを気にせず、すぐに仲間になれる。
「インクルーシブ公園の遊具はスペシャルニーズのある子も健常の子もみんなが一緒に遊べるよう、様々な配慮がされていて、子どもたち同士が自然と混じり合って遊ぶことができます。
たとえば、『みんなの広場』にある回転する遊具は、子どもたちが同時に複数人で遊べて、身体を支える力が少ない子どもでも、背もたれ付きのシートに座って安全に楽しめるんです。
子どもたちは遊具を回転させるべく、遊具の周りを走り回って遊びますが、スペシャルニーズのある子がいるときは、子どもたち同士で『危ないからゆっくりやろう』と声を掛け合う姿も見られます。
子どもたち自身で考えながら、みんなが一緒に楽しく遊べる方法を考えられるのも、この公園の魅力です。
世の中にはいろいろな子がいることを知り、一緒に遊ぶ経験を通して、子どもたち同士のコミュニティも育っていきます。こうした経験が、分離のない社会へとつながっていくのだと思います」
公園からつなぐインクルーシブ・コミュニティ
インクルーシブ公園は、どの地域でも設置しやすいよう、東京都ではガイドラインや補助金も創設され、全国の自治体でも続々と増えつつあるという。実際、龍円さんのところには、日本各地から問い合わせが毎日のように舞い込んでいる。
「広がりを見せているのは、インクルーシブ公園の存在を知った保護者さんたちが次々に『自分の子もみんなと遊んでみたい!こんな公園が欲しい』と声をあげはじめたことがあると思います。
みんなで一緒に遊べる公園を作ることに反対する理由がない、というのも大きいかもしれません。
全国各地にインクルーシブ公園ができて、スペシャルニーズのある子もない子も一緒に遊ぶ風景が日本の普通になることは、私の夢でもあります。
インクルーシブ公園で育った子たちが大きくなる頃、日本はもっとインクルーシブな社会になっていると期待しています」
インクルーシブ公園は遊具に目が行きがちだが、そこが本質ではないと龍円さんは続ける。
「人と人とをつなぐインクルーシブ・コミュニティの中心拠点であるというのが、大きな目的。重要なのは、インクルーシブ公園を作っていく過程と、完成した後の運用に、いかに多くの人を巻き込んでいくか。
公園の設計のときから、『みんなの公園』をテーマに、地元の大人も子どもも、スペシャルニーズのある人もない人も、みんなで一緒に考えてアイディアを出し合うんです。
出てきたアイディアを公園の実際の設計に反映させたり、公園作りに地域住民も参加したりすることで、完成する頃には公園を中心としたインクルーシブ・コミュニティーの核が出来上がっている。
そして公園が完成した後も、地域の方々が関わり続けられるような運営を取り入れるのも重要です。
プレーリーダー、インクルーシブ・イベント、花壇管理やゴミ拾いなどのボランティアでもいいかもしれません。こうやって、地域コミュニティーがどんどん広がっていく。
それが、地域のシニア世代の見守りにつながったり、困った時に助けあえる関係になったり、災害時には共助の力になることだって考えられます。公園が人と人とをつなげてくれるんです」
「社会のための活動」が、自分を幸せにする
2021年7月に都議会議員の再選を果たし、2期目に突入した龍円さん。これから議員として目指していきたいこと、ひとりの女性として挑戦したいこと、母として実現したい夢、それぞれの目標は明確で、目指す先は大きい。
「すべての人が大切な仲間の一員として、自分らしく輝きながら参加する社会の実現を、これからも目指していきます。
議員として、ジェネラリストになれないことに引け目を感じていましたが、自分の専門分野を邁進していくことが、私の役割だと感じています。
これからは、政治家と民間企業での自分、それぞれの可能性を考えていきたい。
その第一歩として、学校現場でインクルーシブについて子どもたちに教える活動に、来年1月からチャレンジします。
学校現場で実際に体験したことを議員として活かすのはもちろん、現場に寄り添った政策ができているか、見つめ直すこともできると考えています。
一人の女性としては、自分を個としてではなく、社会の中の自分として見つめていきたい。
30代までの“人生は自分のためのもの”という考えが、ニコと出会って大きく変わりました。そして40歳で政治家になった今も、日々発見の毎日。社会のために動くことで、自分が満たされ、幸せになることを知りました。
母親としては、ニコが大きくなったら旅をしてみたいですね。ニコの目に初めての土地、初めての風景がどのように映るのか、想像するのが今の楽しみです」
終始、にこやかに、ニコくんとの日常のなかにある気づき、議員としての使命感を語る龍円さんは、目標に近づき、自分自身が成長できることを楽しみにしている。
彼女が前を向き続ける背景には、不安、孤独の実体験がある。龍円さんからは、それらを乗り越えてきた人がみせるおおらかさと、穏やかな安心感が感じられた。
PROFILE 龍円あいり(りゅうえんあいり)さん
取材・文/副田聡美 撮影/桜木奈央子 撮影協力/砧公園