前回、子どもたちに「義父母の老い」についてそれとなく聞いてみました。
二人の子どもたちは揃って「お母さんは忙しいし、ご飯作るのとか手伝いたい」「おじいちゃんたちがもし寝たきりになったら介護を手伝う」と言ってくれました。
本当に嬉しく、また頼もしく感じました…しかし同時に、私の脳裏に浮かぶのは「ヤングケアラー」の文字。
これからのわが家の介護と生活について考えてみました。
「手伝い」と「家族の犠牲」の違い
「ヤングケアラー」とは、同居家族の介護などのケアを担う若い世代のこと。
ケアの負担が大きく、子ども自身の健やかな成長や進路選択に制限が生まれる状態が社会問題となっています。
わが家の場合、今後、義父母のどちらかが寝たきりになって在宅介護になる可能性はないとは言いきれません。そうなったとき、子どもたちの手を借りずに家事やその他生活のもろもろを回すことは可能だろうか、と考えます。
子どもたちが「家事や介護を手伝う」と思ってくれるのは正直、とても有り難い。
しかし、高齢者と一緒に暮らすことで、ケアラーになることを強制されてはいけない。もちろん、彼らの将来の選択肢を無意識のうちに狭めてしまうことも避けたい。
そう思うあまり、「子どもたちにいっさいの手伝いをさせない」というのも…また違和感があります。
子どもにとってどの程度が「手伝い」で、どの程度が「家族の犠牲」となってしまうのでしょうか。
私が仕事を辞めて介護と家事に専念すれば、家のことはなんとかなるとは思います。
しかし私もうつ病など複数の持病を抱え、いつ悪化するかもわからない不安定な状態です。それに加えて、家庭の収入面でも、共稼ぎをやめると…不安は大きくなるばかりです。
誰かが無理をして回る状況は作らない
私にしても、子どもたちにしても、「家にいて、高齢者の世話をするのが当たり前」の状態が一度できてしまえば、そこから負担を軽くすることはなかなか難しいのではないかと思います。
家族の誰かが無理をしてなんとか回る状況を作ってしまうと、その人が調子を崩したり、家を出ることになったときのダメージが大きすぎます。
「子どもにできる手伝いはしてもらう、でも決してあてにはしないこと」
難しいですが、介護に関しては特に、これを肝に銘じなければいけないと思っています。
そしてそのためには今後、外部の介護サービスを積極的に頼っていかなければ、と考えています。
介護負担が増大して家族で抱えきれなくなってからでは遅いからです。
マネジメントも抱え込まない
介護サービス利用に伴うマネジメントも、家庭の大きな負担になることが想像されます。
これは保育園に子どもを預けるときをはじめとして、育児を通して痛いほどに学んだことです。
反省を生かし、決して私一人で抱え込まず、夫も主体的に関わるよう仕向けていきたいと思います(そもそも、原則として義父母の介護の義務があるのは実子の夫であって、私ではないのですし)。
家族が「人の老い」を目の当たりにするとき
なるべく子ども達を家に縛りつけることのないように、自然体で祖父母のそばにいられるようにしたい、と今は考えています。
まだ祖父母の衰えについてピンときていない様子の子どもたちですが、これからの数年間で、人の老いというものを目の当たりにする機会が増えることでしょう。
そのとき、子どもたち、そして義父母を含めた大人たちは何を感じ、何を学ぶのか。
家族の笑顔が少しでも増えるように…試行錯誤の日々はずっと続くことでしょう。