出産から2日後、突如ガッチがガチになったおっぱいを前に途方にくれていたのは…そう、私。「出産」というイベントばかりに気を取られ、その後に始まる「おっぱい」に関してはなんの心構えもできていませんでした。なんだこれは!?あたためるのか?冷やすのか?もむのか?対処法もわからず、ひどい痛みに耐えながら、泣く泣く授乳…。そしてそのまま、日に何十回とおっぱいをあげる授乳生活がスタートしました。

 

「授乳は母と子をつなぐ素晴らしいものですが、ときに女性の心身を追い詰める「脅威」になることもあります」と話すのは、「助産院バース自由が丘」(東京・目黒区)で13年間おっぱいケアを続ける助産師の水島華枝さんです。

 

「おっぱいの悩みはとても複合的。夜中の授乳で寝れない、寝れないから自律神経が乱れ、めまいを抱えたまま育児をして…そんなループの中で産後うつに足を踏み入れてしまう方もいます。」


2万人以上の施術を通して、母子に寄り添い続けてきた水島さんの願いは「100人いれば100通りの幸せな授乳スタイルがあると伝える」こと。大切なのは、母乳神話でも、科学的な研究結果でもないと話す水島さんに、自分流の授乳スタイルを見つけるコツを伺います。

 

※本記事は「うつ」「自殺」などに関する描写が出てきます。ご体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。

おっぱいケア始めた理由は 助産師の親友の自死

── 最初に水島さんの助産師としてのキャリアを教えてください。

 

水島さん:

海外で働く助産師の講演会に参加して、「命が生まれる」過程に伴走する仕事に憧れを抱いたのは高校3年生の時です。看護学校に進学し、看護師と助産師の資格をとった後は、6年間大学病院のナースとして働き、地域に出て自宅出産の介助・新生児訪問を経て、助産院の常勤スタッフとして経験を積みました。

 

── 水島さんがに立ち上げた助産院バース自由が丘は、母乳ケアに最も力を入れていらっしゃいますね。水島さんがおっぱいケアを始めた理由はなんだったのでしょうか?

 

水島さん:

そうですね…あまり明るい話ではないんですけれど。

 

「いつか一緒に助産院をやろうね」と約束していた助産師の親友がいたんです。彼女が2人目の赤ちゃんを出産した後に、母乳育児が軌道に乗らず。助産師ゆえに「こうあるべき」という思い入れが強かった彼女は、母親としての自尊心を砕かれてしまって…。産後うつを患い、30代で、幼い2人の子どもを残して亡くなってしまいました。

 

…おっぱいの悩みと共に亡くなってしまった彼女の力になれなかった。

 

母乳外来での施術
自分の手が届く範囲では、そういうお母さんをゼロにしたい。そんな思いで母乳ケア外来をスタートさせました。 母乳外来での施術の様子

── …おっぱいは時にそこまで女性を追い詰めるんですね。

 

水島さん:

おっぱいの悩みは1つじゃなく複合的です。「痛い」とか「つまる」という表面的なことだけじゃなく、夜中の頻回授乳で寝れない、寝れないゆえに自律神経が乱れ、めまいが止まらない。そうするとお乳の出が悪くなって子どもが不機嫌になって…。そんなループから抜け出せず、フラフラの状態で受診される方もいます。問診では「大丈夫です、特に問題ありません」とおっしゃる方でも、いざ施術が始まると急に涙が止まらなくなる方もいます。

 

授乳する様子
授乳は、ホルモンバランスとセットなので、時に人を変えてしまうこともある。女性の心身を追い詰める「脅威」になり得るというのは、親友の自死を経験した時も、おっぱいケアを続けている今も、常に感じていることです。 授乳のイメージ写真(PIXTA)

 

── それだけ負担が大きいのに、授乳に関しては「相談先」が明確じゃないですね。

 

水島さん:

その通りです。乳腺炎になれば病院で治療できますが、医師が皆授乳に関して専門家という訳ではありません。助産師も同じで、出産の介助が本業なので「おっぱいのことは分からない」という人も多いんです。

 

専門とする機関や職業がない中で、その状況に危機感を持つ一部の助産師や民間の施術者が、その狭間を埋めている、というのが現状だと思います。

正解のない授乳  スマホの情報よりも「自分流」で

── 水島さんが実際に施術する際に心がけていることはどんなことですか?

 

水島さん:

母乳外来という世界に足を踏み入れて思うのは「授乳に正解はない」ということです。おっぱいで絆を深める母子もいれば、2か月でササッと授乳をきりあげて、お互いにハッピーな母子もいます。体質も、精神的な性質も、1人1人違いますから、お母さんと赤ちゃんの組み合わせで、無限のやり方がある。常にそのことを意識して、お母さんと赤ちゃんのタイプを見極め、オーダーメイドの施術をすることを心がけています。

 

── 「こうあるべき」とお母さんに押しつけることはないんですね。

 

水島さん:

「こうあるべき」と考えて、自分を追い詰めてしまうお母さんの心をほぐしてあげるのが私の役割かな、と思っています。私は、母乳の力を信じていますが、母乳神話論者ではないし、WHOの基準もあくまで「目安」と受け止めています。科学的に根拠のある論文も、お母さんのメンタルヘルスと関係なく、母乳の一側面しか見ていないことも多い。

 

私の最優先事項は「おっぱい」より、お母さんの「笑顔」。おうちの中にお母さんの笑顔があれば、子どもにとってそれ以上のことはないですから。

 

だから状況に応じて母乳が軌道に乗るように努力することもあれば、「大丈夫、ミルク使いましょう!」とお話することもあります。ミルクでも子どもたちは元気に育っています。まったく問題ありません!

ミルクを与えるイメージ写真(PIXTA)

── 特に初めての育児は「正解」を求めて、情報に振り回されてしまうことも多いですよね。気づけばスマホで検索ばかりしていたり…。

 

水島さん:

「子どもにとってベストのことをしてあげたい」という気持ちは、よく理解できます。でも私がよくお母さんに伝えるのは、スマートフォンじゃなく、目に前にいる赤ちゃんと向き合ってください、ということ。スマートフォンの中にある他者の「正解」は、あくまでその人の「正解」であって、自分に当てはめると苦しいだけです。授乳も、ねんねも、トイレトレーニングも、あなた流のやり方でいい。

 

第三者を介して答えを見つけるのではなく、お母さんと、赤ちゃんと、当事者2人の「協議」の中で、幸せな解決法を見つけてほしいな、と私は思っています。

 

── 赤ちゃんとの「協議」ですか?

 

水島さん:

「え?」と思われるかもしれないけれど、どんなに小さな赤ちゃんでも、お母さんの想いを共有すると不思議と応えてくれます。「つまってつらい」「母乳だけで頑張りたいのに出ない」「そろそろ卒乳したい」と赤ちゃんにしっかり伝える中で、不思議と答えにたどり着くこともあるんですよ。私はお母さんと赤ちゃんの「通訳」のような役割を果たせたらいいな、と思っているんです。

 

── なるほど…確かに私も「ガッチガチのおっぱい」で苦労したけれど、解決してくれたのは息子の「吸う力」でした。

 

水島さん:

「新生児は何もできない」と思う方もいるかもしれないけれど、赤ちゃんが持つ力をぜひ信じてほしい。こと授乳に関しては、私はお母さんと赤ちゃんが「対等」な関係だと思っているんです。二人三脚で頑張って、自分たちのスタイルを見つけてほしい。お母さんだけが頑張る必要はないんですよ。

 

母子つなぐおっぱい「 幸せなスタイル」はそれぞれ

── これまでたくさんのお母さんと赤ちゃんと向き合う中で、何か印象に残っている出来事はありますか?

 

水島さん:

そうですね…、「おっぱいのせいで寝れない、赤ちゃんを可愛いと思えない」と受診をされたお母さんがいらっしゃって。ネグレクトに近い状態になりかけていたので、丁寧にマッサージをしてほぐして、お話を聞いて、ということを繰り返して。そのうちにおっぱいの調子が少しずつ上向くようになりました。

おっぱいケア
施術の様子(本人提供)

ある時その方が「赤ちゃんの手が大きくなって…、この手は私のおっぱいで大きくなったんですよね」とおっしゃって。「うん、そうですね」とお伝えしたら、「おっぱい飲まれるのが可愛い、愛おしい」って。そんな変化を身近で見れるのは本当に幸せです。

 

── 素敵なエピソードですね。

 

水島さん:

子どもたちもたくさんのことを教えてくれました。

 

おっぱいが大好きだった子に「ねぇねぇ、おっぱいっておいしいの?」って聞いたことがあるんです。そしたら「おっぱいは、おいしいとか、まずいとかじゃない。幸せの味なんだよーーー!!」って(笑)。「どんなに嫌なことがあっても、転んで痛くても、おっぱいを飲むと全部魔法みたいになおっちゃうんだよ」って教えてくれました。

 

こういう話を聞くと、おっぱいって単に栄養じゃない、ということを強く実感させられます。

 


── 私も長く授乳を続けていますが、子どもにとっておっぱいは安心基地でもあるんだ、とよく感じます。

 

水島さん:

そうですね。あ!でもね、この話を聞いて「おっぱいあげなくちゃ!」と思わなくていいんです。これも私の患者さんのエピソードですが、生後6か月でみずからスパッとおっぱいをやめた赤ちゃんがいて。その子が喋れるようになってから理由を聞いたら「お母さんのおっぱいすっごいまずかったよ」って(笑)。その子の場合、おっぱいは「魔法」じゃなかったわけです。

 

100人いたら100通りの正解があって、不正解はない。ならば、「正しさ」ではなく、「自分らしさ」を大切にしてほしい。

 

── 水島さんのような伴走者がいれば、ほっと一息つける方も多いと思います。ただ、今はコロナ禍で、多くのお母さんが孤立していますね。

 

水島さん:

そうですね…母乳は血液なのでおっぱいケアは濃厚接触にあたり、母乳外来を閉める助産院が増えています。相談先の減少は現在の大きな課題です。

 

「誰かが居場所を作らなくてはいけない」という強い思いがあり、私自身は葛藤しつつ「母乳外来を閉めない」という決断をしました。おっぱいは出る人も、出ない人も、それぞれに悩みがあって、時にその悩みはお母さんを強く追い詰めてしまいます。現在のところ一人の感染者も出ておりませんが、「感染拡大防止」という観点から正しい判断だったかは、いまだに悩むところです。

 

もし今「苦しい」と感じている方は「我慢することが当たり前」とご自身を追い込まず、あなたと赤ちゃんが「楽だな」と感じられる方向に、解決の糸口を見つけてくれたら、、「こうあらねば」と歯を食いしばって頑張らなくていいんです。

 

 

出産直後の自分自身を振り返ってみても、必要だったのは「情報」より、この「安心感」だったのかもしれないと感じながらお話を伺いました。コロナ禍で多くのお母さんが孤立していることは大きな社会問題のひとつ。しかもおっぱいの悩みは体質に左右されるため、周囲のママ友や経験者である母親に相談しても共感を得にくいとう特徴があります。

 

水島さんが取材で繰り返されていたのは「おっぱいに関しては悩み損はありません。誰もが悩むけれど、必ず解決策がある。そのことにぜひ希望を持ってほしい」という言葉。まずは日々授乳を頑張っている自分を肯定し、その「肯定」の先に、答えを見出せれば、自分自身を追い詰めることなく、幸せな授乳スタイルを見つけられるのかもしれません。

 

PROFILE 水島華枝さん

水島華枝さん
助産師。東京・目黒区の助産院「バース自由が丘」で、母乳ケア、産前産後ケア、ベビーマッサージ、育児相談等、女性たちのトータルサポートを行う。助産師歴は21年。これまで母乳外来でケアをしてきた女性は2万人に上る。

取材・文/谷岡碧