歪んだ愛され方で親に育てられた人は、モヤモヤとした葛藤を大人になっても抱える人は多いでしょう。いわゆる過干渉は、ネグレクトのような「虐待」には入りませんが、子どもの心には大きな影響を及ぼします。そうして育った女性が母親になったとき、どのような迷いや悩みが生まれるのでしょうか。
義母や父に責められる母が可哀想で私は決断した
「今思えば、ですが…」そう口を開いたのは、キョウコさん(37歳・仮名=以下同)です。結婚して11年、9歳と5歳の子がいます。
「母は私との関係を間違えていた。子どもの頃から母はひたすら愚痴を吐いていました。そして、友だちの選び方に口を出したり、『ママは世界一、あなたが大事なの。あなたがいないと生きていけないの』と吹き込まれました」
母は同居する義母に毎日のように皮肉を言われ、すぐに『誰のおかげで食えるんだ』と、言い放つ父に尽くしてきました。
「それは私も知っています。だからこそ、私を生きがいにするしかなかった母を突き放すことができなかったんです。3歳年下の妹は、そのあたりをうまくすり抜けてさっさと家を出て好きなことをしていましたけど、私はそれができなかった」
父親は、いわゆる“エリート”だったといいます。それを自慢し、息子にもっと尽くせとプレッシャーをかける姑の存在は、母にはとてもつらかったでしょう。そういうストレスの行き先がキョウコさんでした。
「祖母が『いい家族を作るのはあんたのさじ加減ひとつだからね』と、母に言うのを聞いたことがあります。母は『はい』と素直に応じていましたが、台所で泣いている母の姿も見てきました。だから私は母には逆らえなかった。味方でいなければ“かわいそう”と思っていたんです」
そのためキョウコさんは、知らず知らずのうちに自分を見失っていきます。自分が何をしたいのか、何が好きなのか、誰と友だちになりたいのか、何を着たいのか…。すべてが母の言うなりでした。それで母の気が少しでも穏やかになるならいいと、子どもながらに覚悟を決めていたような気がするそうです。
20代で気づいた「私は母のことが嫌いなんだ」と
高校を出て、母の反対を押し切って都会の専門学校に進学しましたが、自分がいなくなった後、母がどうしているのか心配でたまりませんでした。母からも毎日、「キョウコがいない家は寂しい」と連絡が来ます。結局、彼女は半年で専門学校を辞めて実家に戻りました。
「それからはアルバイト生活でした。でもだんだん、専門学校をやめたことを後悔するように…。私の人生、母に言いように操られているのではないか、母は私をサンドバッグにしているのではないかと、ふと思いました。それから母に言われたことや、されたことを反芻しました。そして、認めたくなかったけれど、私は“母が嫌い”だとわかったんです。そう思ったら、急に気持ちが軽くなったのを覚えています」
その後、彼女は再度、泣いてすがる母を振り切って都会でひとり働き始めます。24歳のときに知り合った男性と2年後に結婚し、子どもにも恵まれました。
「よく自分が親になったとき、親の気持ちがわかると言うでしょう? でも私にはわからない…。子どもがいけないことをしたとき、叱ってはみるけど、本当に子どもが悪いことをしたのか、自分のメンツのために怒っているのか、と悩んでしまう。『言うことを聞きなさい』とも言えない。私自身は親からの呪縛が解けてないから自信もない。夫が子どもと自然な感じで説得したり、叱る姿を見ると、“すごいなあ”と思うんです」
いつか私は「普通の母親」になりたい
夫に相談しようとしたこともあるキョウコさんですが、自分の気持ちをわかってもらえるとは思えず、断念します。夫を信頼していないわけではなく、子どもを自立させるのが親の務めと考える夫の両親を見ると、理解してもらえないと感じたといいます。
「夫の両親と接して、“家族ってこういうものだったのか”と目から鱗でした。適切な距離があるというか、子どもの言い分をきちんと聞いてくれる。結婚前に、『いいご両親ね』と漏らしたら、『ごく普通だよ』と。ああ、これがごく普通なのかと初めてわかりました」
そんなだから、親としてどう振る舞ったらいいかわからないそうです。子どもに「ママはどう思ってるの?」と聞かれたとき、自分の意見を持てないことにも気づきました。彼女はずっと、母の呪縛を心の中で育ててきたのかもしれません。
「でも最近、母の呪縛から解き放たれたいと強く思うようになりました。子どもたちと一緒に少しずつ大人になっていくしかないな、と。親子関係も含め、今は心理学の本を読んで勉強しています。いつか夫や夫の両親に、今までのことを素直に打ち明けたいです」
結婚にも反対した母とは絶縁状態が続いていますが、だからこそ彼女は自分を振り返り、自分を構築するのは今だと考えているそうです。