人間、年を重ねるとつい同じ話を何度も繰り返しがちになるようです。
前に同じ話をしたことを、本人が忘れてしまっている様子なら、もしかして認知症…?と心配になってしまいますが、我が家の義母の場合、どうもそういう様子ではありません。
「前にも話したけど、親戚の〇〇さんがね…」と前置きをして話し出すこともしばしばです。
なぜ義母は、わかっていても同じ話を何度も繰り返すのか…?同居嫁の観点から考えてみました。
義母のおしゃべりから避難して考えた
我が家の義母は明るく話好きな性格。人と顔を合わせればとにかくたくさん喋りたい、というタイプです。
それはいいのですが、義母は何度も同じ話を繰り返します。親戚のことや友人のこと、夫や義兄の子どもの頃の面白エピソードなど…トータルで同じ話を何十回聞いたかわかりません。
心に余裕があるときは笑顔で頷きながら聞けるのですが、疲れているときやイライラしているときなどは、「それは前にも何回も聞きました!」と強めに言いたくなることもしばしば。
この原稿を書いている今も、何を隠そう、義母のおしゃべりにややうんざりして、外のカフェに避難してきたところです。
なぜ、こうなってしまうんでしょうか…。
話好きでも同じ話を繰り返さない人もいる
考えてみると、話好きな人でも、同じ話を繰り返すタイプの人と、そうでない人がいることに気づきます。我が家の場合は義父も話好きではありますが、何度も同じ話を繰り返すことはほとんどありません。
義母の話を注意深く聞いていると、とにかく「自分にとって印象深い・楽しかったエピソード」を繰り返し話しているのだということに気づきました。
説教じみたことを何度も言われるよりはずっと良いのですが、たとえば夫の幼稚園の頃のお友だちのおもしろエピソードだとか、ご近所に住んでいた小さな子に、嫌いなにんじんをすりおろしてケーキに入れて食べさせて克服した義母の武勇伝(?)など、何度も聞いても特におもしろいものではありません。
聞き手役の私や夫だって、すでに同じ話に飽き飽きしていることをもはや隠す気もなく、「へー」とか「ふーん」とか気のない返事をたまに返すだけですが、義母は決してめげることはありません。
それはなぜか…つまり、聞き手の感想など、知ったこっちゃないからなのではないでしょうか。
義母は“自分のため”に話している
なるほど、義母にとっては、他人のために話しているわけではないのです。
聞いている人を楽しませようとか、場を持たせようとか、新しい情報を提供しようとかいう意図はいっさいなく、ひとえに「義母がその話を何度繰り返しても楽しいから」だということです。
ここまで考えて、ふと思いつきました。これはカラオケの十八番みたいなものだな、と。
プロ並みの歌唱力を誇る人でなければ、素人が他人に請われて歌を歌うことは滅多にありません。それでも多くの人が歌を歌いたいのは、しかも何度も同じ歌を歌いたいのは、それが自分にとって心地いい行為だからに他なりません。
何度も繰り返す過去のエピソードが、言うなれば義母にとってはカラオケの十八番、何度繰り返し喋っても飽きることはない人生のサビ部分なのかもしれません。
そうしてそう気づいてしまえば、義母のおしゃべりもこれからは、懐メロを鼻歌で歌っているようなものなのだな…と、多少は心に余裕をもって受け止めることができるような気がしています。
私も自分のために話している…!
そしてさらに私は、恐ろしいことに気づいてしまいました。私自身、最近、子どもたちが小さなころのエピソード、かわいらしい言い間違いや好きだったキャラクターのことなどを話しては、思春期の娘に「それ何回も聞いたよ!」と言われがちなことに…。
年寄り笑うな行く道だ …そんな格言が身に沁みるお年頃になってきてしまいました。
文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ