我が家のような三世代同居に限らずですが、家族といってもそれぞれ別々の人間の集合体。ときにはどうしても意見が合わないこともあるのは当然のことです。
多少の食い違いは我慢したり妥協したり…でも、どうしてもこれだけは譲れない!というポイント、誰にでもあるものですよね。
今回はそんな「同居生活・ここだけは譲れないポイント」のお話です。
「義母の宗教勧誘」は断固拒否!これだけは譲れない
我が家では、義父母と同居を始めるとき、あらかじめ「お互いにどうしても我慢できないことがあったら、きちんと口に出して伝え合いましょうね」という約束をしていました。
同時に「それを伝えられたら、素直に改善しましょうね」とも。
こう書くと、とてもコミュニケーションが円滑な家庭のように見えますが、最初からこうではありませんでした。むしろ結婚前は、義母との間に暗雲が立ち込め、二世帯同居なんてとても考えられない…というような状態の時もあったのです。
その原因はというと、何を隠そう、義母からの宗教勧誘でした。
義母は若い頃からある宗教に入信しており、周りには同じ団体の友人も多く、かなり活発に活動をしていました。
夫(当時は彼氏)と結婚を意識しはじめ、お互いの家族に紹介されてからというもの、義母の私への宗教勧誘は、わりと…いやかなり強引な…今思えば、よくあの環境で夫と結婚する決意ができたな私…若さってすごい…と自分でもあきれるほどの勢いでした。
義母の家に招かれたら同じ団体のお友達がずらりと並んでいて囲まれたり、セミナー的な集まりに半ば強引に連れて行かれたり…義母からの勧誘エピソードを数えればきりがありません。
“たたかい”はときに強く、ときにしなやかに…!
しかし、人間、経験を重ねるほどに強くなっていくもの。最初から徹頭徹尾、無宗教だった私ですが、勧誘(と書いてたたかい、と読む)の場数を踏めば踏むほどに、ときに強く、ときにしなやかに、断るスキルを磨いていきました。
数々の攻防を経て…嫁の拒否スキルはアップした
そうして無事に夫と結婚し、長男が産まれ、二世帯同居の話が出る頃には、義父母に対して「どうしても嫌なものは嫌だ」と言える素地ができていたのです。
かなり大変な経験だったことは確かなのですが、この出来事があったおかげで、私は義父母に自己主張する練習ができ、また義父母も、家族といえど思い通りにはならない他人である、という最低限の認識を持ってくれたのではないかと思います。
また、私自身、義母の人となりを知るにつれ、それまでアレルギー的にあった宗教への忌避感が薄れ、(私自身は絶対に入信はしないものの)義母自身の人生を豊かにしてくれているならば、決して毛嫌いするべきものではないのだな、義母は義母、私は私、と自然に思えるようになりました。
そう、それはまるで熱い戦いを繰り広げたライバル同士が、お互いの実力を認め合うように…。
同居のコツは相手への許容
そしていよいよ同居が始まるというとき、私からはこう義母にお願いしました。
「義母の信教の自由は私も全力で守るので、子どもに宗教の勧誘をするのは絶対にやめてほしい(子ども自身が成長してから自分の判断で入信するのは自由)」と。
義母からも何か、私にやめてほしいことはないのですか、と聞くと、「何にも思いつかないわ、かわいい孫と一緒に住めるだけで充分幸せだから!」とのこと。
義母が譲れないのは…「嫁のだらしなさ」
いやいや絶対そんなことないでしょ…いざ一緒に暮らし始めたら絶対にいろいろ要望はあるでしょう…と思っていたら、案の定、しばらくするとどんどん出てくる「義母のどうしても嫌なこと」。
- 椅子の背もたれにカバンや上着をかけるのはやめてほしい
- 浴室や洗面台に髪の毛が落ちているのは絶対にイヤ(私の視力が極端に悪いのでつい見落としがちなのです…)
などなど、たいていは私や子どもたちのだらしなさからくる、ごもっともですごめんなさい、としか言えないことばかりです。
ひとえに私の至らなさが原因のため、義母から言われたことは完璧に…とは言えないまでもすぐに…いや、出来る限りは…直すようにしています。
しかし、義母の要求の中でも、なぜ?どうして?とどうしても納得のいかないことは、いくつかありまして…。
次回、これらの義母の謎のこだわりについて語ります!
文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ