Prime Videoにて配信中のクッキング・リアリティ番組『ベイクオフ・ジャパン』シーズン1にて、審査員を務めるパティシエの鎧塚俊彦さん。番組では、ベイカーたちをジャッジする立場の鎧塚さんに、新しいことにチャレンジを続けてきた理由や、自身のジャッジされた経験をたっぷり語っていただきました。
「認められた」と感じると違う場所に行きたくなる
── 30代の大半をヨーロッパで過ごされていますが、パティシエになると決めたときから、ヨーロッパでの修行はイメージしていたのでしょうか。
鎧塚さん:
29歳で渡って37歳で帰国しました。この世界に入ったときから、いずれは店を持ちたいと思っており、その前には本場で働きたいという思いはありました。ただ、いつもそうなのですが、落ち着いたなと思った頃には次に動きたい気持ちに駆られる傾向があって、性分なんでしょうね(笑)。
スイス、オーストリア、フランス、ベルギーと4カ国で働いた理由も僕の性分にあるようです。ポジションも何もないところに入って、やっと認められ、お給料をいただけるようになり、住む部屋も見つかり、人として、パティシエとして認められたと感じると、違う場所に行きたくなります。
── 常にチャレンジする場に身を置き、新しいことを求めるタイプのようですね。
鎧塚さん:
苦しい道を歩もうと思っているわけではないし、できれば楽をしたいと思っているのに、気づけば自分を奮い立たせるような新しい道に足を踏み入れています。何かホッとした瞬間に「さて、次は何を?」という思考になっていますね。
パリに行きたい、コンクールに出たい。いざ、コンクールに勝つと、レストランで勉強したいと思うし、勉強していく中でお店をやりたいという気持ちが芽生えていきました。
お店をやるなら勝算の一番あるところでやりたい、それなら絶対日本だと思って帰ってきたんです。帰国という意識はなく、お店をやるなら、と考えた結果が日本だったというわけです。
提案に大切なのは「win-winの関係」を築くこと
── 次々と新しいことにチャレンジしている理由は、鎧塚さん自身の思考回路によるところが大きかったのですね。それは56歳になられた今でも続いているように感じます。
鎧塚さん:
続いています(笑)。畑をやりたい、農園をやりたい、それらをやりながら問題が見えてきたら、また次の動きを探っています。僕は、文句を言うだけというのが嫌いなんです。文句を言おうと思ったら、まずは自分でやってみないといけないと考えています。
何か問題に気づいたら自分でアクションを起こして、代替案を出すべきだと考えているので、いろいろと新しい世界に足を踏み入れてしまうようです。
第一次産業がこのままでは衰退すると聞いて、農園を併設したパティスリー&レストラン「一夜城 Yoroizuka Farm」をはじめたのも、そのうちの一つです。だから、やりたいことがどんどん増えてきちゃって。でも「おいしいお菓子のために動く」という僕の軸だけはブレないように心がけています。
何かアクションを起こすときに大切なのは「win-winの関係を築く」こと。だから、農家の方々の取り組みに対しても、僕がやってみたいことを伝え、そうすることで僕のメリット、先方に生じるメリットをきちんと伝えます。
お互いにメリットがあることで、地域を盛り上げることができると伝え、その取り組みを見て「僕たちも!」と派生していくなら、とてもうれしいことですよね。
よく「あなたたちのために!」と取り組みを提案することがあるけれど、僕はちょっと胡散臭さを感じる部分もあって(笑)。僕がまだちっちゃい人間だからなのかもしれないけれど、やっぱりベースにはお互いのwin-winと尊重があるべきだなと思っています。
若い職人に残業代を払えるシステムを
── 今やりたい新しいことはありますか?
鎧塚さん:
多店舗展開をしようという思いはありません。「一夜城 Yoroizuka Farm」も京橋のお店もまだまだ僕の中では未完成なので、もっときっちり仕上げていきたいです。
僕の大きな目標は、職人気質を守りながら、時代に合った働き方改革を進めていくこと。父や祖父が守ってきた職人気質を認めたうえで、僕たちの時代で直すべきところは直していきたいと考えています。
── パティシエとして、そして経営者としての思いが伝わるお話です。
鎧塚さん:
若い子にはお給料も、休みもあげたいし、ちゃんと残業代を払えるシステムはあるべきだと思っています。職人気質は守るべきことだけど、時代に合った働き方に改革して、次世代のパティシエを育てていくことは僕がやるべきこと。もっと楽に生きたいと思うけれど、いつまでたっても楽ができないのは、こういう考え方や性分が原因なのでしょうね(笑)。
僕がいなくなってもみんなが潤う形を作りたい
── でも、とても楽しそうに見えるので、変えようという思いはないのでは?
鎧塚さん:
いや、しょっちゅう変わりたい、変えたいと思っています。若い頃から、明日のために今日を犠牲にして生きてきたようなところがありました。でも、妻が亡くなった頃に、今日を楽しむために今日を生きようという考え方に変えよう、と思うようになりました。
でも、人の考え方ってなかなか変わらないもので、結局、明日のために今日をがんばってしまうところはありますね。
言葉にするとなんだかかっこよく聞こえるかもだけど、僕自身、かっこいいとは思っていないです。20代、30代ならそういう考え方でいいかもしれないれど、祖父は59歳で亡くなり、妻はもっと若くして亡くなっていることを考えたら、もうすぐ60歳になる身としては、何かあってからでは遅いから、今日のために今日を生きたいなと思います。
── 今日を生きるために、今後は仕事を手放していく可能性もありますか?
鎧塚さん:
良くも悪くも「Toshi Yoroizuka(トシ ヨロイヅカ)」の名前があるから、僕の存在感が大きくなりすぎています。
いつまでも元気とは限らないし、後継もいないので、おこがましいですがジョルジオ・アルマーニやイヴ・サンローランのようにブランドにして、僕がいなくなってもみんなが潤うような形づくりをしたいと思い、そのための努力はしています。それができ上がったら、引退…するかなぁ(笑)。
いいものは力がぬけたときに生まれる
── 審査員としてジャッジする立場で番組に参加していますが、鎧塚さんの“ジャッジされた経験”をお聞かせください。
鎧塚さん:
フランスカップというコンクールに参加したのは、審査方法に不満があったから。「優勝して物申す!」のがカッコいいと思って挑んだけれど、勝つことができませんでした。お菓子は勝ち負けじゃないという思いがありながらも、やっぱり負けると悔しいもの。だけど、冷静になって「僕の作りたいものを作ろう」と切り替えたら、優勝することができました。
ヒットを狙って作った商品が、ヒット商品になることもあるだろうけれど、気負いや力がぬけたときに、いいものが生まれる気がしています。たまたまかもしれないけれど、コンクールでの優勝も含めた自分の経験から、そう考えるようになりました。
PROFILE 鎧塚俊彦さん
京都府生まれ。関西のホテルで修業後、渡欧。スイス、オーストリア、フランス、ベルギーで8年間修業を積む。ヨーロッパで日本人初の三ツ星レストランシェフパティシエを務めた後、帰国。「Toshi Yoroizuka」はじめ、農園を併設したパティスリー&レストラン「一夜城 Yoroizuka Farm」等を展開。
取材・文/タナカシノブ