嫁を褒める義母

コロナ禍により家で過ごす時間が増え、家庭の大切さに気付かされる半面、家族という閉じた人間関係に息苦しさを感じる方も多いのではないでしょうか。

 

今回はそんな閉塞感を吹き飛ばすヒントを、義母の無邪気なふるまいが与えてくれたというお話です。

ステイホームでギスギスしだした6人家族

我が家は義理の両親と一つ屋根の下に同居中の、夫婦と子ども2人の6人家族です。

 

兼業主婦である私は基本的に在宅ワークのため、家に閉じこもりがちです。さらにこのコロナ禍で、他人との距離はますます広がるばかり。

 

家族以外の人とちょっとした雑談をする機会が少なくなることは、予想よりもずっと、鬱屈した気持ちに陥りやすくなるのだと気づくのに時間はかかりませんでした。

 

私だけでなく家族も同じような状況です。ステイホーム期間が長くなるにつれ、家の中はなんとなくギスギスとして、ちょっとした口喧嘩や不機嫌な態度が目に付くようになりました。

 

6人もの人間が家の中で、一日のほとんどの時間を過ごしているのに、家庭内がギスギスしていてはストレスの発散場所がありません。

 

家族でプチパーティーやカラオケ大会をしてみたり、庭にテントを張ってみたり色々と工夫をこらしてはみたものの、それもだんだん飽きがきて新鮮味がなくなってしまいます。

陽キャ義母の無邪気な「身内褒め」

そんな煮詰まり感のある日常にちょっとした転機が訪れたのは、我が家の元気いっぱいパワフル義母によってでした。

 

義母に連れられて知人宅を訪ね、少しの時間ですがお話をする機会があったのです。

 

もちろんマスクをしたままで、距離を取ってと、多少よそよそしくなってしまうのは仕方ないものの、久しぶりに知人と話ができて、義母もとても楽しそうでした。

 

二人の話を横で聞いていて改めて気づいたのですが、義母は自分自身も、そして自分の家族も、他人の前でどんどん褒めるのです。そんなに褒めて自慢話みたいに思われないかしらと不安になるくらいです。

 

「お嫁さん(私)が買い物したりお夕飯作ってくれるから、私は何の心配もなく外で働けるの!それにとってもご飯がおいしいの!夫は洗濯したりしてくれるし、口うるさいところはあるけどマメなのよ。いいでしょう?」という具合です。

 

文字に起こすと改めてすごい「圧」だなと思うのですが、そこは根っから天真爛漫な義母、あまり嫌味にも感じさせないのはつくづく一種の人徳だなぁと思います。

義母の「身内褒め」が嫁に与えた影響

そうして帰宅してから、それまで鬱屈としていた私の気持ちが、なぜかずいぶん晴れやかになっていることに気づきました。

 

久しぶりに外出したせいかとも思ったのですが、私自身はほとんど話もしていません。すごく楽しかったというわけでもないのですが、帰宅したあとは不思議とすっきりした、前向きな気持ちになっていました。

 

これはなぜかと考えるに、おそらく原因は義母の遠慮のない「身内褒め」にあったのでは、と思い至りました。

 

他人の前で堂々と褒められる程度には、義母は私のことを大切で誇らしいと思ってくれているのだ、という体験が、私の精神にとても良い影響を及ぼしたようなのです。

「謙遜は美徳」の家庭で育った同居嫁

思えば私の育った家庭は、他人に向かって自分の身内、とくに家族のことを褒めるなんて考えられない、という環境でした。

 

よその大人が私のことを褒めてくれても、両親は「とんでもない、まだまだ全然なってない、ダメな子なんですよ本当に」と力いっぱい否定するのが常でした。

 

そんな環境で育っているので、私自身、家族のことを外に向かって大々的に褒める、というのは馴染みのないふるまいでした。

 

謙遜は美徳であるという時代のせいもあったでしょう。でもその感覚はすでに古いものだなぁとつくづく思います。

「謙遜しすぎない」から一歩踏み出すべきなのかも

私自身、他人から自分の子どものことを褒めてもらったときは、過度に謙遜せずに素直に「ありがとう」と言うように心がけています。

 

でも今回の義母の、あまりにあっけらかんとした身内アゲを目の当たりにし、そしてそれによって明らかに気分が上向いている自分に気づくと、これは私自身も、「謙遜しすぎない」からもう少し踏み出していくべきなのでは?と思ったのでした。

 

家庭内だけではなかなか晴らすことのできない鬱屈した雰囲気。それを吹き飛ばすにはそう、身内をどんどん褒めていく姿勢が有効なのでは?

 

そう思いついた私の、家庭内の淀んだ空気の清浄作戦はまたの機会に…!

 

文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ