ただの生理不順かと思っていたら、41歳でまさかの「閉経」。しかも、当時2人目の妊活中だったというのは、漫画家のまきりえこさん。予想もつかない現実に気持ちが追いつかず、頭が真っ白に。その後、坂を転がり落ちるように体調が悪化し、ドクターショッピング(精神的・身体的な問題に対して、医療機関を次々と、あるいは同時に受診すること)を繰り返すうちに、うつ病を発症。「死にたい」という衝動に苦しんだといいます。
約10年間、まきさんをほんろうした謎の体調不良。ようやくトンネルから抜け出すことができたのは、つい最近のことだったそう。まきさんが41歳で閉経に至った経緯とその後の体調不良について、お話を伺います。
※本記事の一部に「うつ」「自殺」に関する描写が出てきます。決して自殺を肯定する形で扱っているものではありませんが、メンタルに影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。
ただの生理不順と思っていたら…41歳で「閉経告知」の衝撃
── 41歳で「閉経」を告げられた時は、2人目の妊活中だったそうですね。当時の様子を教えていただけますか?
まきさん:生理が2か月止まっていたのですが、妊娠の兆しもなかったので、ただの生理不順かと思い、産婦人科を訪れたんです。最初、お医者さんは一時的なものだろうから気にすることはないと言っていたのですが、後日、血液検査の結果を聞きに行ったところ、ホルモンの数値から卵巣が働いていないことがわかって。「更年期を飛ばして閉経に向かっている状態だ」と告げられました。
閉経って50歳以上の人に起こる現象で、自分にはまだまだ無関係だと思っていたから、頭が真っ白になりました。「2人目を望みますか?」と聞かれたものの、閉経するような状態で妊活だなんて恥ずかしくて言い出せず、あきらめることにしたんです。正直、どこかで“これでようやく妊活から解放される”という思いもありました。
同じ境遇の人がいない…誰にも相談できなかった
── 40代に突入したばかりだと、まだ更年期を意識する年代ではないですよね。なかなか事実を受け入れ難かったのでは?
まきさん:お医者さんも“稀なケース”だとおっしゃっていました。40代の後半に差し掛かっていれば、“そろそろかも…”という心の準備ができていたかもしれませんが、全く覚悟のない状態で閉経を告げられ、気持ちがついていかない。周りの友人にもそんな人はいないし、誰にも相談できませんでしたね。
なにより私自身、更年期に対して、“ヒステリックで浮き沈みが激しい人”といったネガティブなイメージがあって、自分がそういうふうに見られるのがすごく怖かった。そもそも私は体も丈夫だし、まだまだ仕事も頑張れる、冷静な判断だってできるし、そっち側の人間じゃないんだと、事実を受け入れたくない気持ちが強かったんです。
体が悲鳴を上げるようなストレスの日々
── それまで体に異変を感じるなど、なにか兆候はあったのですか?
まきさん:当時は、特に変わったところはないと思っていたけれど、今振り返ると、体が悲鳴を上げていた気がします。職場の上司に悩まされ、メンタル不調に陥って休職。ストレスからひたすらチョコレートを食べまくるなど食生活が乱れていたせいか、年中風邪をひいてはこじらせ、いつも具合が悪い。それだけ免疫が低下していたのでしょうね。
それでも閉経の診断から半年くらいは、特に変わった様子もなく、お医者さんからは、“むしろ更年期を回避できてよかったと考えましょう。更年期の症状がひどいと自殺してしまう人もいるんですよ”と言われ、「へえ、そうなのか。ラッキーだったのかも」と思っていたんです。でも、それは間違いで、本来なら閉経に向けてソフトランディングしていかなくていけないのに、私の場合、更年期を飛ばしていきなり閉経に突入してしまったものだから、その反動が大きかった。
ある朝、微熱が引かなくなり、急に布団から起き上がれなくなってしまったんです。それまで私は、どんなに熱が出ても気力で乗りきってきたのに、家事が全然できないし、仕事もまったくはかどらない。さすがに非常事態だと、かかりつけの医院に駆け込んだのですが、結局原因はわかりませんでした。そこから医療機関を転々とする“ドクターショッピング”が始まります。
原因がわからない…心が疲弊し「死にたい」衝動に
── 突然の体調不良はパニックになりますよね…。具体的には、どんな症状があらわれたでしょうか。
まきさん:それが、ひとつじゃなかったんです。次から次へと体のいろんな部位に不調が起き、毎回違う症状に苦しみました。あるときは、全身のだるさや冷え、めまいやたちくらみ。そのほか、疲労感や頭痛、節々の痛み。腹痛は何年も続きました。症状がコロコロ変わり、その度に違う病院を探しては検査の繰り返し。
そのほか、漢方を処方してもらったり、大腸の内視鏡検査も行いました。でも、数値上は問題がなく、結局、また振り出しに戻ってしまう。だんだん心が疲弊して、「私がおかしいのだろうか。神経質で面倒くさい患者だと思われているんだろうな…」とネガティブになり、気持ちが追い詰められていきました。
そしてある日突然、“死にたい!”という衝動に駆られ、交差点の真ん中にフッと飛び込みそうになったんです。慌てて心療内科へ駆け込んだところ、「抑うつ状態ということは間違いない」と言われて…。もっとも恐れていたことでした。そこから、徐々に更年期うつの症状が現れ、長いトンネルに突入することになります。
息子の小1の壁と同時に訪れた「更年期うつ」
── 当時、まだお子さんが小さかったそうですね。育児が大変な時期に、ご自身の辛い症状が重なり、さらに仕事もしなくてはいけない。さぞかし厳しい状況だったのでは。
まきさん:最初に布団から出られなくなった時は、ちょうど子どもが小学校に上がる頃。私も、多くの働くママと同じく、“小1の壁”にぶつかり、育児や家事、仕事と、まるでコマネズミのようにせわしなく働いていました。
更年期うつになってからは、メンタルがぐちゃぐちゃでとにかく辛かったです。眠れないからいつも睡眠不足で体がフラフラする。本来、人一倍気丈で楽天的なはずなのに、先のことを考えると怖くてたまらない。不安で眠れず、世界中がまるで敵のように感じ、孤独でした。結局、うつ症状は5年くらい続いたんです。
明るくのんきな夫と息子が心の支えに
── とても苦しい思いをされたのですね…。その間、家のことや仕事はどうされていたのですか?
まきさん:仕事は一応していたものの、自分の中でとても納得できるクオリティではなく、それがまた落ち込みの原因になる、という悪循環に陥っていました。ルーティンの家事はなんとかこなすものの、それ以上は無理。結露で家のあちこちにカビが発生したり、キッチンに酵母が棲みついてしまい、おみそ汁がすっぱくなったことも…。
ただ、幸いにも、夫が自発的に家事をするようになってくれ、とても助かりましたね。夫への信頼感が高まり、夫婦のきずなが強くなったことは、唯一良かった点といえるかもしれません。
── つらい状況の中で、何を支えにしていたのでしょうか。
まきさん:子どもがスポーツをしていたので、休日には応援に行き、楽しそうな姿を見る時だけ元気になれるんです。うちは、夫も子どもものんきな性格で、私がヒステリックになっても、あまり深刻に捉えず、割とノホホンとした様子でした。子どもは、“お母さん、最近なんか怒りっぽいな”とは思っていたみたいですが…。
ただ、能天気な家族だったからこそ、家の中が暗くならず、よかったなと思います。家族やパートナーが鬱になってしまうと、周りも連鎖してしまうケースも少なくありませんから。
PROFILE まきりえこさん
漫画家、イラストレーター。コミックエッセイスト。毒親に自尊心を破壊された主人公が、アイデンティティを立て直していく『実家が放してくれません』(集英社)が近日発売予定。そのほか著書に『小学生男子(ダンスィ)のトリセツ』(扶桑社)、自身の閉経とその後の10年間の体調不良の経験を描いた『オトナ女子の謎不調、ホントに更年期?」(集英社)がある。
取材・文/西尾英子 イラスト/pum