中学生のトニーニョくん(15歳)と3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんと外国人でジャーナリストの夫・トニーさん。
夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことや自分の幼少期の体験を、それぞれに語ります。
今回は制服について。左多里さんに、学生時代の甘酸っぱい思い出と共に、さまざまなモヤモヤが去来した出来事を語ってもらいました。
学校に通う服は、子どもも親も困るものであってはいけない
私の場合、中学も高校もセーラー服だった。若い頃からあまりスカートをはかない私は、制服に憧れとか思い入れもそれほど持っていない。でも制服があって、毎朝着ていくものを考えなくてよかったのは助かった。もし私服だったら、たぶん毎朝「着ていく服ない!」「ほな今まで何着とったの!?」と母とケンカしていただろう。制服の存在は、大量の親子ゲンカも未然に防いでくれたのだ。
でも、問題点もいくつかある。まず、高い。特に中学校は義務教育なのに制服は自費で、運動服なども全部揃えると10万円近くかかる地域もある。以前話題になった小学校のあるブランドの制服は、
低所得家庭に補助金を出している自治体もあるけれど全体の半分くらいで、補助額の平均は4万円代。そして卒業した先輩からお下がりをもらうのも、それほど一般的ではないように思える。
できるだけ気持ちに合った服を選べる学校がいい
最近は、男女で制服が分かれていることについての問題も浮き彫りになってきた。体の特徴で決められた服を着ることが苦痛だという子がいる。配慮されるようになってきたとはいえ、それでも「特別に」スカートでなくスラックスを、またはその逆を選ぶことに、とても抵抗がある子もいるだろう。
実は制服は、校則には「標準服」と表現されている場合が多い。これは、制服が広まった1960〜70年代初めごろは制服そのものに抵抗感のある保護者が多く、「標準とする服」としか決められなかったから、らしい。今とはずいぶん感覚が違っていたのだろう。
むしろ今こそ、本当に「標準服」とするのはどうだろうか。例えばシャツは白、ジャケットやスラックスは黒、とだけ決めておき、どこで買ってもいいことにするのだ。海外ではそうしている学校もある。校章が必要というならバッジかワッペンで付ければ、記念にとっておきやすいし、譲ることも簡単。
そしてさらに、私服も選べることにする。すでに制服のない中学も、制服でも私服でもOKの中学もある。そういう学校を参考に、もっと増やしていけないものか。最初は先生方の負担が増えるかもしれず心苦しいけれど、少しずつ対処法も確立できていくのではないだろうか(
ベルリン時代の「なんでもいい」状態の心地よさ
ちなみにベルリンの息子の学校では制服は高校までなく、体育館内の上履きだけ形が決まっていた。運動服も運動しやすければなんでもよかった。日本語補習校の運動会だって服装は自由だった。何も困ることはなかった。
急に制服は無理でも、まずは運動服からこの方式にしてみるのはどうだろう。日本の学校でよくある“学年ごとに色が決まっているジャージ”って本当に必要だろうか。中学入学の段になって「ああ、
誰かが救われるなら制服を12年着続けたっていい
私は制服によって、
以前「制服は貧富の差を目立たなくできる」とSNSで発信した時も、「自分は貧乏だったが、下層に合わせるとかバカにするな」という意見があった。一方で現役の中学教師から「本当に替えの服がない子供がいる。制服には意味がある」というメールももらった。厳しい環境でも強い子は生き抜けるだろう。でも、そうでない子もたくさんいる。「私服にして、服のことで友だちをいじめない教育をすればいい」というのは、確かに理想だと思う。でもそれが実現するまでの間にも、辛い思いをする子がきっといる。悩みは必ずしも1つではないだろうけれど、1つでも少なくしてやることが大人の役目なのではないか。
体操服の自由化でも大変そう?じゃあ、靴下からお願いしたい。
文・イラスト/小栗左多里