筆者の娘が自分のことを「ぼく」と呼ぶようになったのは、5歳のときでした。
親としては別段気にしていなかったのですが、小学生になると勝手が違ってきます。
「作文で『ぼくは○○しました』って書いたら、『女の子は「わたし」を使いましょう』って先生に直されたよ」
あれ、女の子が「ぼく」を使うのは間違いになるの?
そもそも女の子は「わたし」、男の子が「ぼく」を使うことが教育現場の「正解」とされる根拠って何なのだろう?
「女の子とぼく」の関係性にまつわる違和感と謎を解きほぐすために、「ことばとジェンダー」を専門とする関東学院大学教授・中村桃子さんにお話を伺いました。
「ぼく呼び女子は非常識」は国が決めた?
── 小学校に入ると作文や発表などの場では、女の子は「わたし」、男の子は「ぼく」を使うように教わります。一方で、周囲を見ると一人称が「ぼく」の女の子もクラスに数人程度はいる印象を受けます。そもそも、なんとなく当たり前になっている「性別による一人称の使い分け」はどうして存在するのでしょうか。
中村さん:
「女の子=わたし」「男の子=ぼく」を使うべきという根拠は実はどこにもないんです。
最近の芸能人では、最上もがさんがインスタグラムで「ぼく」を使っていますよ。最上さんが話し言葉でも「ぼく」を使っているかはわかりませんが、彼女が「ぼく」を使うことを「非常識だ」と考える人も少なからずいることはネットの書き込みなどから伝わってきます。
一方で、アニメやゲームなど特定の領域では「ぼく」を使う女の子は「ボクっ子(娘)」と呼ばれ、清純・未熟・幼いなどの特徴を持つキャラとして好まれています。
標準語の誕生で「ぼく」が正解に
── リアルでは非難されるが、フィクションの世界では許される。このギャップはどこから生じるのでしょう。
中村さん:
そのことを説明していくには、明治時代までさかのぼって考える必要があります。
江戸時代までの日本は、ひとつの国ではなく、たくさんの藩がそれぞれ分かれている状態でした。だから言葉も地方によってバラバラ。ところが明治以降は、近代国家としてひとつにまとまる必要に迫られます。ひとつの国家としては、言葉も統一しなければならない。ここから「国語」という教科が全国の小学校で教えられるようになりました。
さらに国語の教科書をつくるには、基準となる言葉もつくらなければなりません。このとき、当時の知識人たちが選んだのが、「東京の教育を受けた中流階級の男性」の言葉でした。もちろん、明治初期の知識人ですから、おそらく全員男性だったはず。
東京の知識人男性が、自分たちが使っている言葉を「標準語」として定めた。これが標準語の成り立ちです。
明治の女学生は「ぼく」を使っていた
── 「男性の言葉」がそもそも標準語のベースになっているんですね。
中村さん:
当時の書生、つまり男子学生たちは自分のことを「ぼく」、相手のことを「きみ」と呼んでいました。当時のいろんな教科書を分析すると「やあ、きみ」「~したまえ」といった言い回しが一般的なんですね。この頃から男の子の正式な一人称として「ぼく」が使われるようになっていきます。
対して「わたし/わたくし」は、明治よりずっと昔から使われていた一人称でした。明治の教科書では、「わたくし、わたし、ぼく、自分」が小学校において教授すべきものとしてあげられています。
だから、明治の女学生についての文献を読むと、日常会話で「ぼく」「きみ」「~したまえ」のような男言葉で話している人もいます。彼女たちは自分を「ぼく」と呼んでいたんですね。
── では女性の一人称が「わたし」と定められたきっかけはどこから?
中村さん:
戦争です。日本が東アジアの植民地に行った同化政策の中には、現地の人々に日本語を強制的に教えることが含まれていました。そういった対外的な流れの中で「日本人女性としての言葉遣い」が徐々に確立されていったのです。
女の子の一人称は「わたし」であるべきという性別による一人称の使い分け、女性は語尾に「~だわ」「~のよ」という言葉遣いをすべき、という規範も、昭和期に生まれたものです。