コロナ禍はなかなか収束の気配を見せず、私たちの心に暗い影を落としています。
なんとなく不安、心がざらざらする…。気づかないうちに心が疲れている子育て世代が増えているように感じます。あなたは今、つらさを抱えていませんか?パートナーや子どもはどうでしょうか?
心が壊れてしまう前にできることは何か。「現代の生きづらさ」の要因とともに考えます。
第6回は、現役看護師であり、僧侶であり、二児の母でもある玉置妙憂さんにインタビュー。人生の節目でさまざまな選択を迫られたとき、どのように考えたらよいのか、ヒントをいただきました。
夫の看取り体験から看護師僧侶に
—— 結婚して母となり、その後看護師に。がんになった夫を自宅で看取った経験から、僧侶になるという異色の人生を歩んでいらっしゃいます。
玉置さん:
私も若いころは、自分がこんな人生を歩むことになるとは思ってもみませんでした。就職して、結婚して子どもを産んで…。そこまではなんとなく想像していた通りの人生でしたね。
ところが、長男に重度のアレルギー症状が出たのをきっかけに「息子専属の看護師になろう」と思いたち、看護の勉強を始めることに。長男が6歳のときに看護師資格を取得できました。
そのころになると長男のアレルギー症状がよくなってきたんですね。「資格がもったいない」と、30歳から看護師として病院で働き始めることにしました。
ただ、前夫は「子どものために資格を取ったはずなのに、話が違う」と思ったようです。それで離婚することになりました。
—— 僧侶になったきっかけは何だったのでしょうか。
玉置さん:
カメラマンと再婚したのですが、その夫ががんになりました。手術したのですが3年後に再発。本人が「もう治療も入院もしたくない」と家で過ごすことを希望して。それで家で看取ることになりました。
夫が亡くなって四十九日が終わり、お骨をお墓に入れたときに、「私の人生の仕事は全部終わった」という気がしたんです。そして夫の死を受け入れられるようになったころ、出家することを決めたのです。
—— なぜ出家だったのでしょうか。もともと仏教に興味があったのですか。
玉置さん:
学生時代にNHKの「シルクロード」という番組をみて、音楽もすばらしいし、感銘を受けたんですね。それで現地に行ってみたくなり、中国の西安から実際にシルクロードを歩いたんです。
タクラマカン砂漠に立ったとき、初めて来たはずなのに、なぜか前に来たことがあるような気がして。「私の前世は中国の修行僧だったんだ」と確信しました。
でも当時は出家するでもなく、帰国後は普通に事務職で就職。長年忘れていたのですが、夫の看取り体験があの感動を思い出させてくれたわけです。
スピリチュアルペインを自身の成長につなげる
—— パートナーを自宅で看取るというのは、しんどい体験だったのでは。
玉置さん:
自分がつらい目にあったり、身近な人の死に直面したりすると、意識よりも深いところ、人の存在そのものに関わる潜在的な部分がダメージを受けます。これを「スピリチュアルペイン」といいます。
私自身、夫の看取りに際しては、さまざまな思いが交錯しました。枯れるように死に近づく姿を見ながら「自然な死とはこういうものか」と感銘を受ける一方で、「治療を受けてくれたらいいのに」「これでいいのか」と悩み苦しみました。
夫の死後しばらくは、普通の生活ができませんでした。次男も小学校に行かなくなりました。何をしていたかというと、心の欲するまま毎日のように花を買い、月に数回は親子でテーマパークに通っていたのです。
3か月が過ぎたころ、家族それぞれの心が動き始めました。私は出家を決意し、看護学校に通っていた長男は小児科志望から在宅医療志望に変更。次男は学校に戻りました。
—— じっくりスピリチュアルペインを癒したことで、人生の次のステップに進めたのですね。看取りはつらかったと思いますが、人生について深く考えるきっかけを得られたことは羨ましい気もします。家事育児や仕事に多忙だとなかなか人生について立ち止まって考えられず、漫然と日々を過ごしてしまいがちですから。
玉置さん:
スピリチュアルペインというのは、生死に関わるものに触れたときにやってきます。
子どもが産まれたときの感動も、広い意味でのスピリチュアルペイン。
子育てでは、わが子が成長している一方で、無意識のうちに自分が老いて死に近づいていることを感じています。それがもやもやとした不安のもとになったりします。
それから、スピリチュアルペインには、胸の奥底にしまい込んでいる悲しみや苦しみといったものもあります。例えば、自分が子どものころに親から受けた心の傷などですね。これが、子育てをきっかけに蘇ってきたりするのです。
現役世代は多忙だとは思いますが、スピリチュアルペインのきっかけはどこにでもある。そこに気づいて、どんな人生を選択するかはやはり自分次第だと思います。
自分の軸で人生を選んできた
—— 玉置さんは、離婚、出家など、思い切った決断を何度かされていますね。
玉置さん:
思い切った決断に見えるとしたら、それは私が他人の軸で物事を判断していないからでしょうね。家族のあり方、人生のあり方は多様です。いろいろなスタイルがあるわけですから、柔軟に考え、ひとつのあり方に固執するのは意味がないと思っています。
特に今は世の中の常識が猛スピードで変わっていますから、自分の中の当たり前がいつの間にか非常識になっていることがあります。アンテナを高く立ててさまざまな情報に触れ、自分で考え、自分なりの軸、価値観を持つことが必要です。
—— 30代、40代は子育てをしながらどうキャリアを形成していったらいいのか、迷いがちです。「自分の生き方はこれでいいのか」と心がゆらぐことも…。
玉置さん:
私も、七転八倒しながらここまでたどり着きました。混沌とした中で目の前にあったものに食いついていくみたいな感じで無我夢中でしたね。
「どっちを選ぼうか」と迷う場面は何度かありましたが、その都度やっていたのは、いったんその問題から離れて、棚上げにすることです。
離婚だって、いきなり気持ちが固まったわけではありません。する/しない、どちらの道にもメリットとデメリットがあるからすごく悩みました。そんな時は1回考えるのをやめて、問題から離れるんです。で、他のことをやっている中で、「あ、こうしよう」とすーっと心が決まる瞬間があります。そういった時に決断することが多いですね。
—— 考えるのをやめる…。意外と難しいかもしれません。
玉置さん:
それは私たちが受けた教育のせいかもしれませんね。学校では正解が必ずあるし、「答えが出るまでよく考えなさい」って言われ続けてきたでしょう。
その結果、むやみに考え続けて、苦し紛れに間違った方向の答えを出してしまったりして…。そんなことはしないで、ある程度まで考えて答えが出ないなら、いったん置いてみるのもおすすめですよ。
—— 道を選んだら選んだで、「ああすればよかった」とまた悩んでしまいがちです。
玉置さん:
それは当たり前のことです。人生に100%正解はないから迷うのだし、選んだあとも「あっちの方がよかったも」と考えてしまうものなのです。
じゃあどうすればいいか。それは、「あっちを選べば良かった」というような失敗をしたとしても、「自分が選んだのだから」と納得できる選び方をすることです。
失敗しない道を選ぼうとするのではなく、失敗したことについての尻ぬぐいを自分自身でする覚悟を持つことですね。
…
100%の正解なんてない、どちらを選んでも悩むのが当たり前。だからこそ、失敗を含めて納得できる選択をし、そのことに責任を持つ——。はっとさせられるご意見でした。次回は子育てがつらいと悩む私たちに、引き続き玉置さんからアドバイスを伺います。
悩み・困りごとがあるときは… まもろうよ こころ|厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/
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PROFILE:玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん
文/鷺島 鈴香 イラスト/小幡彩貴