新たな事業展開という大きなチャンスに挑むべく、上京した矢先に、新型コロナが発生──。大きな軌道修正を余儀なくされた西山貴代さん。同時に、結婚、出産という人生の転機も訪れ、「キャリアか、子どもか」で葛藤したといいます。
育児に追い詰められないために西山さんが死守しているという自分ルール、そしてホテル業が苦境に立たされているコロナ禍であらためて考えたという新しいビジネスの展開構想についても伺いました。
正論を振りかざし拒否された経験を糧に
── 起業後、壁にぶつかった経験やうまくいかずに悩んだことはありましたか?
西山さん:
実は、起業してしばらくした頃、マネジメントで大失敗したんです。結果を出したいと肩に力が入りすぎてスタッフとぶつかってしまい、業務が進められないところまで追いつめられてしまって。いかに品質を上げるか、お客様に満足してもらうか、クレームをなくすかということに一生懸命になりすぎて、「なんでこうしないんですか?」「なぜできないんですか?」と、正論を振りかざして責めてしまった。本当に浅はかだったと思います。
私がやるべきことは、できないことを責めるのではなく、みんなを巻き込んでやる気になってもらい、清掃の品質を上げること。それなのに伝え方が良くなかったために拒否され、結局スタッフの協力を得られなくってしまったんです。
── 自分と同じレベルのスキルを求めてしまうのは、優秀なプレイヤーだった人が、陥りがちなつまずきかもしれません。そもそも社長とスタッフでは、モチベーションにも温度差がありますよね。
西山さん:
それを痛感しました。組織に属していた時は、多少強気でも上司や周りがフォローしてくれていたけれど、起業家という立場ではそうはいきません。“このままではダメだ、みんなを巻き込んでいくためには、まずコミュニケーション能力から磨かなくては…”と決意してスクールに通い、2018年にNLPプロフェッショナルコーチの資格を取得しました。
人生の転機が立て続けに訪れ、悩む日々も
── 翌年2019年10月には、起業した福岡から東京へと拠点を移し、西山さん自身も上京されたそうですね。その直後に新型コロナの感染拡大が問題となりました。当初のプランがずいぶん狂ってしまったのでは?
西山さん:
東京でのお仕事をいただいたことや、オリンピックでホテル需要が伸びることを見込んで、思い切って生まれ育った福岡を離れ、東京に拠点を移しました。その矢先の出来事でしたから、当時はかなりショックが大きかったですね。
実はその時、プライベートでも転機があって。上京する1週間前に今の夫と付き合いだし、2020年2月に入籍したんです。36歳という年齢を考えると、妊活を急いだほうがいいのではという思いもあり、自分のキャリアプランも見直さざるを得なくなりました。何を優先するのが一番いいのかと悩み、正直かなりの葛藤がありました。
── 仕事の大きなチャンスと、人生のライフイベントが重なり、天秤にかけなくてはいけなくなったのですね。
西山さん:
まさしくこれから事業を展開する大切な時期。大きなチャンスでもありました。本当に今が妊活のタイミングなのか、もう少しキャリアを積んでからのほうがいいのでは…とさんざん迷いました。夫にも「どうしよう…」と、何度も話をしましたね。
結局、出した答えは「キャリアは取り戻せるから妊活を優先しよう」ということ。それまで築いてきた実績や信頼関係が消えるわけではないし、今なら、仕事をセーブしたとしてもクライアントに迷惑をかけずに済みます。妊娠・出産した後でも、自分の頑張り次第でキャリアも収入もきっと取り戻せる。でも、妊娠や出産にはリミットがあって、自分でコントロールできませんよね。タイミングを逃したら、一生後悔するかもしれないと思ったんです。
とは言うものの、実は今まで結婚願望もなければ、子どもを欲しいと思ったことが一度もなくて。あまりに興味がなさすぎて、女性の卵子の数が年齢とともに減っていくことや、自分がすでに高齢出産の年齢だということすら知らなかったくらい。そんな私に夫は「ひとりであれこれ考えなくていいよ」と言葉をかけてくれて、心強かったですね。ありがたいことにすぐに妊娠でき、2020年8月末に出産しました。
母になったことで視野が広がり強くなれた
── 実際に、お子さんが生まれて、これまでと生活が大きく変わったと思います。あらたに感じたことや、変えたことはありましたか?
西山さん:
今、仕事復帰を見越して保活中なのですが、これほど大変なものだとは思いませんでした。どうやら待機児童が多い保活激戦区らしく、申請はしているものの、0歳児でも難しそうな状況で…。
この先、育児と仕事を両立していくには、夫はもちろん行政や民間のサポートを活用しながらやっていく必要があります。今、その体制を整えるために準備しているところです。実際、行政や民間のサービスも使ってみないとわからないことだらけで、登録から利用まで最低2週間かかると言われて戸惑ったり。サービスや人との相性もあるので、いろいろとトライアルしています。
保活を始めた頃は子どもと離れるのがすごく寂しくて、預けることにも抵抗感があったんです。でも、今は考え方が変わりました。単に、“仕事のために子どもを預ける”のではなく、子育てのチームメンバーとして、保育のプロフェッショナルに関わってもらっていると考えるようになりました。専門家に関わってもらうことで、初心者ママの私もわからないことが聞けて育児スキルが上がるし、子どもにとっても良い環境で過ごせているし。みんながそれぞれメリットを得られていると思います。
── 子どもを預けることに罪悪感を抱くママもいますが、そうした考え方を心に留めておくと、仕事も育児も、前向きに取り組めますよね。現在、お子さんが5か月ということでお忙しい時期だと思いますが、これだけは譲れないという“自分ルール”はありますか?
西山さん:
夫に協力してもらい、自分の時間を必ず確保するようにしています。実は毎月必ずやっていることが3つあって。1つ目が、自社のブランディングをすること。具体的には、ホームページを見直して発信すること。2つ目が、月に本を2冊読むこと。3つ目が、月末に神社でお参りすること。その間、夫に子どもをみてもらい、存分にひとり時間を満喫しています。
育児に追い詰められてしまいそうになったこともありましたが、自分のための時間を確保することで、心の余裕が持てることを実感しました。ほかにも年間100個の“やりたいことリスト”も作っていて、その予定はあらかじめスケジュールに入れているんですよ。
コロナ禍の今は辛抱の時。自分にできることを着実に
── 今、コロナ禍で観光産業は大きな打撃を受け、ホテル業界も厳しい状況です。お仕事への影響も大きかったと思いますが、今後の展開をどのように考えていますか?
西山さん:
確かに、止まってしまった仕事もありますが、今、できることをやるしかないと思っています。これまでずっと現場で忙しくしていて、長期的な展望を考える余裕がなかったので、次の展開に向けた土台作りの時期だと前向きに捉えています。
── 具体的に進めていることがあれば教えてください。
西山さん:
今、考えているのは、ホテル清掃の2つの“見える化”。まずは、客室清掃のテクニックとして、私が子供の頃に憧れた華麗なベッドメイキングの動画を制作し、テクニックを多くの人に見てもらいたいですね。
もうひとつが、お客さまの不安を払拭しつつホテルのブランド力を高めるために、清掃のプロセスを見える化することです。今、コロナ禍で、ホテルを利用するお客様もすごく不安だと思うんですね。そうしたお客様に安心感を持っていただくために、清掃工程などを映像などで見せて、「うちのホテルはこれだけの項目をクリアしているので安全です」とアピールしたいです。
こういった工夫は、清掃スタッフにとっても良い効果があると思っていて、緊張感ややりがいが生まれるはずです。こういう時期だからこそ、清掃を可視化することに意味があると思いますし、ホテルのブランド力にも繋がっていくと信じています。
Profile 西山貴代(にしやま・きよ)さん
取材・文/西尾英子 撮影/林 ひろし