中学生のトニーニョくん(15歳)と3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんと外国人の夫・トニーさん。
夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことはたくさん。今回からはトニーさんも加わって、同じテーマについて夫婦で交互に語ります。
前回記事「息子のベビーシッターは意外な人物!?日本にもこんな人がいたらいいのに」では、左多里さんが日本人から見た海外のアルバイト事情について語ってくれましたが、今回はアメリカで育ったトニーさんのベビーシッター経験について。自身もベビーシッターにめんどうを見てもらったというトニーさんのアンビバレントな思いとは…?日本との違いが浮き彫りになる、実体験を述懐してくれました。
ベビシッターはスパイ!?外国人の夫が体験した忘れられない思い出
子どもは、大きくなればなるほど「ベビーシッター」という言葉が嫌いになる。少なくともアメリカ人男子はそうだった。問題は「シッター」というより、「ベビー」の部分。「もう6歳なんだから、『赤ちゃん』じゃないよ!」と、反発するのだ。
アメリカでベビーシッターとして雇われるのは、近くに住むティーンエイジャーになることが多かったけれど、これも子どもにとって不都合。それはただのティーンエイジャーではなく、同級生や遊び仲間のお姉さんやお兄さんではないか。つまり、「スパイ」なのだ(!)。「寝る時間は何時なのか」とか、「テレビを1日何時間観てもいいか」とか。けっして公開されてはならないデリケートな話が全部、ベビーシッターを通じて外の社会に伝わってしまう。言うまでもなく、自分がベビーシッターの立場になったときは、子どものそういう秘密をしっかり守ることにした。うちの界隈でちょっとした“カリスマ・ベビーシッター”になったのは、そのおかげだと思う。
いっぽう、よいベビーシッターは子どもの心に刻まれ、永遠に生きていくもの。僕は、両親が離婚した関係で、4歳くらいまでは父親が親しくしていたある家庭に毎日預けられていた。イタリア系アメリカ人の家庭だったが、そこで僕のめんどうをずっと見てくれていたのは、その家族の長女。彼女から教わったイタリア語の歌は記憶に残っただけでなく、大人になってからのイタリア語学習のきっかけにもなっていた。
たとえば映画「ゴッドファーザー」にも登場した、「ルーナ・メッツォ・マーレ」(海に浮かぶ月)。これはウエディング・ソングだけれど、なぜかそのベビーシッターとよく歌って、踊っていたものだ。
日本で息子のベビーシッターを頼まなかった理由は…
私の息子は6歳まで日本で育ったのだけれど、その間、彼のためにベビーシッターを雇ったことはほとんどない。その理由は2つある。まず、いざというときめんどうを見てもらえる親族がいたからだ。アメリカではそうはいかない。実際、僕の両親はいずれも親族を海外に残してアメリカに渡った移民だから、身内にお願いするという選択肢はなかった。移民でないアメリカ人でも、しばしば実家から遠く離れたところで家庭を築くので、同様の理由からやはり他人を雇うことが多い。
ベビーシッターにお願いしなかった理由はもう1つ。それは、その候補が近くにいなかったからだ。アメリカ社会では、隣人同士が近所付き合いの中でアピールしあう。「うちの娘(または息子)が15歳になったから、もし週末の夜に夫婦でディナーや映画にお出かけになるときはベビーシッターできますよ!」って。でも日本ではそんな習慣はない。
わが子もベビーシッターができる年齢に!
いつの間にかティーンエイジャーにまで育ったわが子も、ベビーシッターを務められる年頃。さっそく小さい子のいる隣人にアピールしてみよう。さすが日本だけに、隣人一家も親族がすぐ近くに住んでいて、お手伝いはいらないと言われるかもしれない。でも、きっと小さい子がわくわくする歌(たとえば「ルーナ・メッツォ・マーレ」とか!)を披露できると思えない。…うちの息子だって今は歌えないけれど…さっそく特訓特訓!