もしも子育ての真っ最中に、親の介護に直面したら──。CHANTO世代にとって、「ダブルケア」も決して他人事ではありません。

 

現在52歳の加倉井さおりさんが「ダブルケア」を経験したのは40歳の時。3人の男の子を抱え、保健師としてキャリアを積んでいた矢先に介護生活がスタートしたのだそう。加倉井さんが経験した「ダブルケア」の実情について、話を伺いました。

 

2歳から10歳までの育児と介護の「ダブルケア」…覚悟を決めた理由

──加倉井さんは、3人の子育て中にお母様の介護に直面するという大変な経験をされたそうですね。当時の状況を教えてください。

 

加倉井さん:

13年前、母が68歳の時に脊髄小脳変性症を発病し、身体が不自由になってしまったんです。これは、運動機能が徐々に低下し、歩けなくなる難病です。しばらく父が一人でめんどうをみていたのですが、あるとき母が自宅で転倒し、寝たきり状態に。父が一人で母をケアするのは大変ですし、私も2歳、6歳、10歳の子どもを抱えていて、片道2時間かかる実家へはなかなか足を運べない。そこで夫に相談し、わが家で同居することにしました。

 

実家の茨城では介護認定を受けていなかったので、まずは地域包括支援センターに連絡をしてケアマネージャーさんに状況を相談しました。介護認定を受けて介護保険サービスを利用しながら、父と私で協力しながら母を見ることになりました。

 

茨城の実家を離れ、加倉井さん一家と同居を始めた頃のご両親。3人のお孫さんと。

 

──ダブルケアに加え、保健師さんとしてフルタイムで仕事をされていたわけですが、育児と介護が重なる場合、どうやって優先順位をつけていたのでしょう?

 

加倉井さん:

もちろん緊急性の高いものを優先することにはなるのですが、同時発生する出来事もあるので、家族やママ友、ヘルパーさんなど介護のプロに関わってもらいながら、なんとかのりきっていた感じですね。

 

当時40歳だった私は、三男の育休から復帰して1年目。三男はまだ2歳で添い寝が必要でしたし、母の床ずれができた時は2時間おきに体勢を変えたりと、睡眠時間があまりとれない日もありました。

 

ただ、これは私の考えですが、子育て中の人は、お子さんを最優先にするのが良いと思います。ひとりで抱えないということは育児も介護も共通ですが、介護は特にそう。ケアマネージャーさんやヘルパーさんに入ってもらって介護保険のサービスを利用しながら、複数で関わることが必須です。

 

母にとって私は「娘のさおり」じゃなくなってしまった…

──介護のためにお母様を自宅に迎えることについて、事前にご家族で話し合いはされましたか?お子さんも2歳、6歳、10歳となると甘えたい盛りですよね。ママにかまってもらう時間が減ることで不安定になってしまいそうですが。

 

加倉井さん:

子どもたちには、両親を迎える前に「おばあちゃんが病気で一緒に暮らすから、みんなで仲良くやろうね」とよく言い聞かせていました。3人とも、私の思いを幼心に理解してくれていたようです。2歳の三男ですら、私が母をトイレに連れて行こうとするとタタタと駆け寄ってきてドアを開け、用を足したら水を流してドアを閉めてくれたり。それが自分の仕事だと思っていたみたいで(笑)。

 

子どもたちにとっても、老いていくおじいちゃん、おばあちゃんを間近で見守れたのは、貴重な経験だったんじゃないかと思います。

 

──確かに、介護の様子を間近で見守るのは、何にも代えがたい命の教育になりますね。加倉井さんが介護に関わるなかで一番大変だった事は何でしたか?

 

加倉井さん:

特に辛かったのは、母が寝たきりの状態がきっかけで認知症になってしまい、私のことだけがわからなくなってしまったことです。

 

「あなた、どなたですか?」と言われた時は、ショックのあまり大泣きしました。悔しくなって運転免許証を見せながら「お母さん、ほら見て!さおりだよ」と。すると母はすごく怖い顔をして、「娘の名前を名のるなんて、あんた卑怯だよ」と怒るんです。さおりという娘がいることはわかっているけれど、母にとって私は「娘のさおり」じゃなくなってしまった…。悲しかったですね。

 

──私も同じ経験をしました。認知症を患った父が娘である私のことがわからなくなってしまい、本当にショックで…。“こんなに世話をしている私を忘れるなんて!”と、やるせなさで涙が出ました。

とはいえ、加倉井さんは健康や医療のプロですから、認知症について深い知識があり、関わり方も熟知していらっしゃいますよね。それでもやはりご自身のこととなると、冷静に対応するのは難しかったのでしょうか。

 

加倉井さん:

おっしゃる通りです。保健師ですから、“認知症は否定せず受け止めることが大切”ということは頭ではわかっているんです。それなのに、自分の親となると話は別で、なかなか冷静に対処できませんでした。ですから、認知症を抱える家族のお気持ちは本当によくわかります。

 

しかも、父も母の介護でメンタルが不安定になってしまって。茨城に帰ってひとりでめんどうをみる自信はないし、かといってこのままずっと慣れない土地で私たち家族と一緒に暮らすのか…。きっと父なりに悩み、葛藤していたと思います。

 

定年後は母と旅行することを楽しみにしていましたから、突然介護生活が始まって落胆する気持ちもあったのでしょう。時々お酒を飲んで暴れてしまうことがあり、そんな父のケアをするのも切なかったですね。でも、そんなときこそ寄り添うことが必要と感じています。

 

現在は、自身の子育てや介護の経験をもとに様々な企業や自治体でのセミナーを行い、全国を飛び回る加倉井さん。

 

今は他にやるべきことがあると選んだ退職…これでよかったの?

──3児の子育てと介護のダブルケアを抱え、仕事に支障はありませんでしたか?

 

加倉井さん:

もちろんありました。当時はチームリーダーとして働いていたのですが、時短制度が整っておらず、フルタイムで復職したんです。ところが「ダブルケア」になってからは、子どもの保育園からの呼び出しや母の体調不良が重なり、連続で半休や有休を取ることが増えてしまって。周りのメンバーに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

職場の人間関係には非常に恵まれていて、皆さんいろいろと配慮してくださっていました。私自身、仕事にもやりがいを感じていたのですが、次第に「リーダーなのに休んでばかりいる私がここにいていいのかな…」と悩むようになっていきました。

 

そもそも、今優先すべきは何だろう。どうすれば後悔のない人生を送ることができるのだろう。…考え抜いた末、歩けなくなっていく母との時間を大切にしたい、子どもたちとももっと一緒に過ごしたいという思いが強くなり、退職を決断しました。

 

 

後に、この決断を後悔することになったという加倉井さん。次回は仕事を辞めてからの介護の状況と家族の変化について伺います。

 

 

Profile 加倉井さおりさん

株式会社ウェルネスライフサポート研究所 代表取締役。保健師、心理相談員、ICP認定コーチ、産業保健指導者。東邦大学看護学部非常勤講師。大学卒業後、財団法人かながわ健康財団にて、保健師、心理相談員として、健康教育に関する活動に18年間従事。2010年に独立し、㈱ウェルネスライフサポート研究所を設立。現在は、女性の健康や仕事と育児・介護の両立等のワークライフバランス、キャリアビジョン、メンタルヘルスやコミュニケーションなどをテーマにした研修や講演の他、保健師・看護師など専門職向けの研修依頼も数多い。講演実績は2,500回以上。「笑顔になる、元気になる、幸せになる」講演・研修がモットー。プライベートでは3人の男の子(21歳、17歳、14歳)の母。「幸せな女性の在り方」を心とからだと生き方を整える視点からサポートするオリジナルの研修も数多い。女性の「健やかに、自分らしく、幸せに生きる」を支援する「WOMANウェルネスプロジェクト」を2013年に発足。著書に『小さなことにクヨクヨしなくなる本』『マンガで楽しく読める

 

 

取材・文/西尾英子