先日、人生で初めて熱中症で倒れるという失態をやらかしてしまいました。

 

30歳を過ぎたあたりから、身体が私の言うことを聞かなくなってきていたのには気づいていた。本当、恐ろしくいうこと聞かない。イヤイヤ期真っ只中の3歳の娘の方がずっと聞き分けが良いレベルなもので、げんなりします。

 

だからこそ、健康には人一倍気をつかってきたつもりなので、やれ水分がたりないだの塩分がたりないだのと言われても、さっぱりピンと来なかった。注意されたことに関しては、言われるまでもなく実行済みだったから。

 

それを凌駕して襲いかかってくるのだから、この年齢になってからの不調ってほんとうに怖いと思います。

 

熱中症による不調は思った以上に長引き、私は楽しみにしていたシタールのレッスン(オンライン)を休まざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。

 

こんな時に習い事の心配なんて不謹慎でしょうか。しかしこれは私にとってはなかなかの痛手。

 

その痛手がどれほどかを説明する前に、少しだけシタールについて紹介させていただきますね。

シタールとは北インドを代表する弦楽器で、インドっぽい音楽を思い浮かべていただければ、その音がシタール…という認識でだいたい大丈夫です。

 

その独特の、広がりあるオリエンタルな響きにすっかり参ってしまった私は20代後半、人生に行き詰まって故郷の九州に帰るか否かの困窮状態のときに、何を思ったかシタールを購入。以来、出産や子育てで休んだりしながらもなんとか続けている大切な趣味なのです。

 

もちろん、私は絵を描くことが大好きですし、そんな最高で最大の趣味を生業とすることができたのはたいへんな幸運だと思います。しかし、生業とした途端に「しがらみ」が発生する。こと人生において厄介なのは、この「しがらみ」です。

 

ひとつ扱いを間違えてしまえば、どんなに愛しているものでも憎悪の対象にさせてしまいかねない危険物。“しがらみ爆弾”を抱えた状態では、ひとりのびのびと思うがままに楽しんでいた頃のようには事は進められません。

 

いつも気を張って、事を荒立てないよう気を遣いながら……あるときは自分の気持ちをぐっと抑え込んで消化不良を起こしたり、またあるときは思い切って言及したことによって空気が悪化、そして自己嫌悪に陥ったり。そんなシーンは、仕事のみならず日常のあちこちに息を潜めています。

 

私にとってシタールとは、なんのしがらみもなく純粋に「楽しむ」事だけを目的とした時間を提供してくれる心強い相棒。仕事や子育てで心が疲弊してしまったとき、シタールをかき鳴らせば少し気持ちが落ち着きます。

 

ところがシタールの弦は細く、それを押さえる左手の人差し指と中指がものすごく痛い。癒やされたいのに、なんでわざわざ痛い思いをしてるんだろう…なんて考えながら、それでも優しい音が聞きたくてさらに弾く。うわー、もはやドMな領域。

 

しかしこの時間こそが、何かと乱れがちなメンタルを整えてくれる薬みたいなものなのですよね。今回、そんな大切な時間を体調不良で流してしまった後悔はなかなかに大きかったです。

 

健全なメンタルのためにも、体調管理には重々気をつけなければ。

 

…とは言いつつも、30代後半に差しかかった身体の取り扱いにいまだ慣れることができず、毎日暴れ馬に乗っているような気持ちで過ごしています。

 

 

文・イラスト/横峰沙弥香