ADHD・ASDの診断を受けたときの心境
——6歳で発達障害の診断が下りたときは、どう感じましたか。
そらさん:
ショックよりも安堵感のほうが強かったです。「これで一人で悩まなくていいんだ。世の中には息子のような子がたくさんいるのだから、取り扱い説明書もたくさんあるだろう」とホッとしましたね。
——今現在、支援のプロとはどのように連携しているのでしょう?
そらさん:
県の機関である療育センターで最初に診断してくださったドクターがそのまま主治医となり、半年から1年ごとに定期診察を行っています。診察はおもに主治医と臨床心理士さんですが、必要に応じて作業療法士さんや地域支援課の担当の方などが入り、家庭での療育のやり方の説明や、学校への合理的配慮、支援法などを医師意見書というものにまとめてくださいます。
支援法の例をひとつ挙げると、紙の絵を描いて説明する「視覚支援」を家庭でやっています。息子が小学校1年生のとき、朝の生活習慣を描いた紙を見せて動作をひとつずつ認識・終了させることで、ライフスキルが定着しました。昔は紙芝居風でしたが、今はひとつの紙にまとめて描いても大丈夫になりました。
また、主治医から情報提供を受けた地元の小児科医で、月に1度の定期診察を受けています。カウンセリングがおもですが、睡眠のバランスや情緒のチェックなどもしていただいています。学校で問題が起きたときなども、相談支援専門員の方が本人とカウンセリングをしてくれるのですが、そういった場を通じて、自分のモヤモヤを言語化できるようになったようです。
——お話を聞いていると、さまざまな支援を積極的に活用されたことが、かなでくんの発達にとてもいい影響をもたらしているように感じます。そらさんは離婚・再婚を経験されていますが、今の夫さんには、かなでくんの特性をどのように伝えたのでしょう。
そらさん:
夫と出会ったのは息子が大きくなってからなのですが、夫は発達障害についての知識などまったくなかったので、私の持っている本や、過去に私がFacebookに投稿した息子の文章を読んでもらうことで理解を深めてもらいました。夫は普段から読書家なので、口頭で伝えるよりも活字からのほうが情報が入りやすいようです。
実際に起きたこと、パニック時の対応、その理由などを、なるべく客観的に文章にまとめてアップすることで、共通理解を図っています。もともと温厚な性格で、口癖は「bestよりbetter」な人なので、私と息子のクッションとしてとても良い支えになっています。
「あたたかな無関心」に助けられてきた
——発達障害の子どもに「どう接すればいいかわからない」という人も少なくありません。当事者の家族として、身近な大人にできること、逆にしないほうがいいことがあれば教えてください。
そらさん:
定型発達のお子さんでも、幼児期のイヤイヤやかんしゃくなどは、安全を確保しながら見守るのが基本ですよね。発達障害児もそれと同じだと思います。重要なのは、安全確保と見守り、刺激を減らすことですから、特別に周囲が何かをする必要はありません。私の場合は 。
私は息子の育てにくさを通じて、他人への許容レベルがぐんと下がりました。わがままではなく、こだわりなのだと思えば、腹が立つことも少なくなります。多様性を知ることは、優しさに繋がる気がします。
…
「もう一人で悩まなくていいんだとホッとした」「周囲のあたたかな無関心にも助けられた」など、そらさんの言葉からは、発達障害児の子育てという現実にこれまで誠実に向き合ってこられたであろう歳月の重みが伝わってきました。次回は、同じく発達障害の子育て当事者であり、自閉症の子育てを描いたマンガ『ムーちゃんと手をつないで』の作者であるみなと鈴さんにお話を伺います。
PROFILE そらさん
1982年生まれ。2008年、長男のかなでくんを出産。離婚を経てシングルマザーとしてかなでくんを育てる中で、6歳で自閉スペクトラム症、ADHDの診断を受ける。現在は再婚。ステップファミリーの3人家族で南の島で暮らしている。Twitter:@Chitose1021
文/阿部 花恵 イラスト/小幡彩貴