なくならない子どもの虐待。ニュースを耳にするたび、胸が痛くなります。
子どもが亡くなるなど大きな事件になった場合は報道されますが、その裏には事件にならないまでも、親からの言葉や身体的な暴力に苦しむ子どもたちがたくさんいます。
東京都で暮らす会社員の橋本隆生さん(活動名)もその1人。父親と再婚相手の継母から虐待を受けて育ちました。
虐待は子どもたちに何をもたらすのでしょうか。
橋本さんが虐待を受けていた頃に感じていたことを通して、考えてみたいと思います。
「殴られても仕方ない。どの家も同じだと思っていた」
橋本さんは栃木県で育ち、両親と2歳年下の弟との4人で暮らしていました。両親は橋本さんが4歳のときに離婚。弟と共に父親に引き取られ、「声が小さい」「洋服を汚した」など、ささいなことで殴られる生活が始まりました。
ある日のこと。当時4歳だった弟が弁当を残してこっそりゴミ箱に捨てたことに気付いた父親が、弟を叱って何度も殴打。フラフラになりながら「ごめんなさい」と謝っていた弟は、父親に風呂場に連れて行かれた後、水の張られた浴槽で亡くなっているのが見つかりました。事故として処理され、事件化はされなかったそうです。
その後父親が再婚し、継母からも虐待を受けるように。小学3年生の頃に父親と継母の間に弟が生まれると、弟との接触は禁じられ、継母は橋本さんの世話を以前よりしなくなりました。食事がなく、道に落ちているものを食べたり、万引きをしたりすることもあったそうです。
ただこの頃、橋本さんはそうした状況を「おかしい」と感じていませんでした。
「殴られるのは嫌だけど、仕方ない。どの家も同じだと思っていました」
違和感を持ったのは、小学4・5年生になって、友達の家に遊びに行くようになってから。「どの友達のお父さんもお母さんも優しい。うちとは違う」と気付いたのです。
それからは「『おかえり』って言ってもらえるとか、頭をなでてもらえるとか、そういうことに心の底から憧れていた」と振り返ります。
多くの子どもたちが「普通」に親からされていることが、橋本さんにとっては遠い世界のことのように感じられました。
「なぜこんな家に生まれてしまったんだ、と感じました。こんな家に生まれてしまった自分が憎くて、腹が立って、壁を殴ったり自分を殴ったり、『消えてしまいたい』と漠然と感じるようになりました」