—— 子役時代から活躍していますが、どんなお子さんでしたか?
加藤さん
ほぼ変わっていません、今みたいな感じでした。「喋り方とか動き方を変えないと意地悪されるよ」と、学校の先生から言われたりもしましたが、全く変える気もなかったですね。親も何も言わなかったので。
—— 役者として、そして、加藤さんご本人も唯一無二、個性がありとても魅力的です。親御さんの子育てはどのようなものだったのか気になります。
加藤さん
とにかく母とよく話をしていました。ポテチを食べながら(笑)いじめられたと相談すると「いじめっ子も好きになった方がいい」とアドバイスしてくれました。仲良くなるきっかけを探すという意味だったと思います。ダンス、空手、水泳など「やりたい!」ということはなんでもやらせてくれました。「あっぱれさんま大先生」に出演していた頃は、卒業までいつも現場に付いて来てくれましたし、堂本剛さんが主演のドラマ「ガッコの先生」の撮影時には、仕事をお休みして東京で二人暮らししてくれました。子役は親の協力なしではやっていけません。
—— お母さんに大感謝ですね。
加藤さん
恥ずかしい話なのですが、26歳くらいまで家賃とかも補助してもらっていました。今やっと少しずつ親孝行できるようになったかなと思っています。本当に心から感謝しています。船舶免許を持っているので、景色のいい時期に乗せてあげたいななんて思っています。
—— 子役の頃からとてもお行儀が良いイメージです。それも親御さんの影響ですか?
加藤さん
こんな話し方なのでおぼっちゃま育ちに思われたりもするのですが、ごく普通の家庭で育ちました。小さい頃からローカルCMのお仕事などもしていて、大人と接する機会が多かったんです。同級生と話すより、父母会でお母さんたちと話す方が楽しいと感じる子供でした。それがこういう振る舞いにつながったのかもしれません。友達のお家に行ったらお行儀よくしなくちゃ! というのはいつも思っていましたね。
—— 叱られたことはありますか?
加藤さん
「こうしなさい」「ああしなさい」と言われることはほとんどなかったです。でも、給食で使ったスプーンをその日のうちに洗わず、翌日の朝に出すような子供だったので「しっかりしなさい!」とは言われたりはしましたね。ダンスのレッスンが嫌になり、泣きながら家に帰って来たときには「やりたいことをやらせてもらえるのは幸せなことなのよ」と元気づけてくれたこともよく覚えています。
—— 記憶に残っているお母さんの言葉はありますか?
加藤さん
母が大好きな「マッスルミュージカル」を観て「これって、ミュージカルじゃないよね」とコメントしたら、「アスリートしてずっとやってきた人たちが、筋肉をエンターテインメントに昇華させているのよ」と説明されました。相手を否定するところから入ってはいけない、ちゃんと理解することが大切だというのを教えてもらったのかなと思います。
—— 本当にいろいろとお母さんとお話しされていますね。
加藤さん
そうなんです。先日も母の日に「いつもありがとう」って感謝の気持ちを伝えようと電話をしました。でも、寝るのが早くて直接伝えることはできなくて(笑) でも、本当に感謝しています。
加藤諒 / 俳優
1990年生まれ。静岡県出身。10歳のときに「あっぱれさんま大先生」(CX)で芸能界にデビュー。その後は個性派俳優として映画、ドラマ、舞台、バラエティなどで幅広く活躍。2019年の出演作には本作品と同じく魔夜峰央原作の映画『翔んで埼玉』、『PRINCE ODF LEGEND』、さらに声優として参加したアニメ『さらざんまい』やドラマ初主演となる『恋と就活のダンパ』などがある。人気・個性・好感度とも、今のエンタメ界に欠かせない存在。
取材・文/タナカシノブ