2024年に、お札のデザインが刷新されるというニュースが注目を集めています。パパ・ママ世代にとっては、馴染み深い福沢諭吉・樋口一葉・野口英世の三人に、お別れを告げることになります。 さて、お札のデザイン変更がニュースになっている今だからこそ、新たにお札の顏として選ばれた偉人が、どのような功績を残したのか学ぶチャンスでもあります。 新たにお札に導入される予定なのは、渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎の3人ですが、具体的にどのような功績を残したのでしょうか。今回は北里柴三郎についての情報をまとめます。
■北里柴三郎とは?
北里柴三郎は、1853年に現在の熊本県で生まれました。実家は代々庄屋でしたが、北里柴三郎は熊本医学校へと進学します。医師として活躍する道を選んだというわけですね。オランダ人医師・マンスフェルトの指導を受け、影響を受けたと言われています。 その3年後には、現在の東京大学医学部にあたる、東京医学校に入学します。ここで学ぶ間に、北里柴三郎が得たのは「医者の使命は病気を予防することにある」という確信です。その後の生涯において、予防医学の普及と前進のために、力を尽くすことを決めたのです。 卒業後は、内務省の衛生局に入局し、その後はドイツへの留学も経験します。高名な研究者のもとで勉学・研究に励み、破傷風菌の純粋培養に成功します。また北里柴三郎は、破傷風菌に対する免疫抗体も発見しています。これにより破傷風は、血清療法による治療や予防が可能となりました。 現代では、赤ちゃんの時期にジフテリア・百日咳・破傷風混合ワクチン(DTP)を受けるよう指導されています。これにより、破傷風を発症する人の数は非常に少なくなりました。当時においては、破傷風は致死率の高い感染症として恐れられていました。北里柴三郎の研究と発見により、多くの命が救われたのです。 ちなみに、私たちにとっても馴染み深い破傷風ワクチンは、この北里柴三郎による血清療法をもとに開発されたものです。北里柴三郎の研究は、今もなお、私たちの命を守り続けてくれているのですね。 この破傷風に関する研究は、北里柴三郎の名を世界に知らしめるきっかけとなりました。世界的な研究者として、さらに活躍していくことになります。
■慶應義塾大学医学科の創設者でもある
ドイツから帰国した北里柴三郎は、福沢諭吉らの支援により、私立伝染病研究所を立ち上げます。当初の目的どおり、各種伝染病の予防と研究に取り組んだのです。 当時の日本において、恐ろしい伝染病として知られたのが結核ですが、北里柴三郎は日本で初めての専門病院を作り、その予防に努めました。さらに1894年には、ペスト菌を発見しています。 私立北里研究所を開所した後も、狂犬病やインフルエンザ、赤痢など、さまざまな病気の血清開発に取り組んだのです。