93-1

20年ぶりのお札のデザイン変更が発表され、その注目度が高まっているのが渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎の3人です。「お札になるぐらいだから、きっとすごい人なんだろうけど……具体的に何をしたのかわからない!」なんて方はいませんか? 子どもに聞かれたら意外と困る!? 今回は津田梅子について、どんなことをして歴史に名を残した人なのか紹介していきます。津田梅子に関する基礎知識を身につけて、スムーズに答えられるよう準備を整えておきましょう!


■津田梅子とは?

津田梅子という人物を語る上で、もっとも特徴的なのが「津田大学の創設者」という点です。1864年、江戸時代に生まれた女性でありながら、優れた国際感覚を身につけ、女性のための高等教育機関を作り出しました。 現代では女性と男性は同様に社会で活躍していますが、津田梅子が生きた時代においては、現代よりも過酷な状況であったことでしょう。そうした環境の中でも、津田梅子は女性リーダーの輩出のために力を尽くし、女性の社会参画の扉を大きく開いていったのです。 津田梅子は、わずか6歳のときに岩倉使節団と共に欧米視察に参加しています。当時のメンバーの中で最年少の女子留学生として、現地で初等教育を受けます。その後もアメリカの教育を受けた梅子は、ラテン語、フランス語に英文学、自然科学や心理学、芸術などを幅広く学んでいきます。 卒業後はいったん帰国するものの、再度、より高度な教育の機会を求めて、アメリカの大学に再留学します。その後は女学校の教授として活躍していきます。 当時の女子学校で教える内容といえば、花嫁修業的な意味合いが強い物事が中心でした。しかし世界基準の教育を受けてきた津田梅子にとって、これは非常に窮屈なものだったのでしょう。また日本の女子教育の水準の低さに、衝撃を受けるきっかけにもなりました。だからこそ津田梅子は、より自由で、高度な視点での教育を、女子学生に対して行っていきます。 現代の津田塾大学の前身となった女子英学塾を創設したのは、1900年のことでした。華族平民を区別することのない女子教育を行ったのです。