人の根っこにあるものは結局、同じだから

── 岡田さんは、世間一般が言う障害という言葉をどのように定義していますか。
岡田さん:極論を言えば、言葉の定義はどうでもいいんです。「個性」と呼ぼうが「障害」と呼ぼうが、朔玖という存在の本質は変わりません。ただ、社会のなかでは「障害」という区分が設けられていることは理解しています。生活するうえで必要な能力が、多数派が作る社会の基準に届かない部分がある。それは厳然たる事実であり、その括りの中にいることを前提に戦略を立てる方が、言葉遊びをするよりずっと建設的です。
── なぜ、そこまで徹底してフラットでいられるのでしょうか。
岡田さん:私のキャリアが人と違うことを価値とするプロバスケットボール選手だったから、というのが大きいと思いますね。さらに、20代の頃から続けてきた支援活動の影響も大きなものになっています。毎年、児童養護施設を訪れたり、障害児向けのバスケ教室を開催したりしてきました。
そこには、多様な表現方法を持つ子どもたちがたくさんいました。言葉がなくても全身で喜びを表現する子、独特なルールで世界をとらえる子。彼らと接するなかで、人間の根っこにあるのは障害の有無に関わらず同じだという確信を得ていたのです。
「右利きの子がいれば、左利きの子もいるよね」という程度の感覚で、障害のある世界を自分の内側に取り込めていました。だから、当事者になったときもそれは非日常ではなくいくつもあるバリエーションのひとつとして認識できたんです。
取材・文:石井宏美 写真:岡田優介