他の子と何かが違う──。妻の直感から始まった違和感は、やがて3歳での「自閉スペクトラム症・知的障害」の診断という現実へと変わります。元プロバスケットボール選手・岡田優介さんは、わが子の障害をどのように受け入れ、家族の舵を切ってきたのか。コート上で戦い続けてきたアスリートが、息子との日々を通じて辿り着いた「親としての職務」とは。
「何か違和感が…」 最初は妻の直感だった

── 2018年に長男の朔玖くんが誕生し、3歳のときに知的障害、自閉スペクトラム症と確定診断を受けたそうですね。それまでの経緯を伺えますか。
岡田さん:最初は妻の直感でした。「他の同じ月齢の子と、何か違う気がする」と言い出したんです。正直、私は当初「個人差の範囲内じゃないか」と楽観的にとらえていました。しかし月日が経つにつれて「たしかに妻の言う通りだ」という確信へとシフトしていったんです。
その頃、私は京都のチームに所属していました。療育も勧められましたが、コロナ禍の真っただ中で、残念ながら参加できませんでした。その後、専門機関に相談しようとした矢先、移籍によって拠点が関東のチームへと移ることになったんです。当時は対面での相談が制限されていて、実際のところ、適切なリソースに辿り着くまでに一定の時間を要したんです。
日本の制度上、知的障害や自閉スペクトラム症の確定診断は、発達の推移を見極めるために、3歳をひとつの基準としています。ですから、2歳半の頃には明らかに周囲との差異が顕著になっていても、正式なラベルがつくまでは「そうかもしれない」というグレーな状態が続きました。
── 明らかに違うと感じた具体的な兆候はどのようなものだったのでしょうか。
岡田さん:顕著だったのは、コミュニケーションの初歩である指差しをしないこと、そして視線が合いづらいことでした。遊び方も独特で、おもちゃを機能的に使うのではなく、ただ横一列に並べ続けるといった、強いこだわりが見られました。そして何より、言葉がいっさい出てこない。こうした姿を見ていたので、3歳で医師から正式な診断をくだされたときは、驚きやショックを受けることはありませんでした。冷静に、納得していたような記憶があります。
── 岡田さんも奥さんも初めての子育てで、不安に押しつぶされるようなことはありませんでしたか。
岡田さん:私自身、バスケットボール選手としてプレーするだけでなく、SNS等での発信や社会活動、キャリアの選び方などを含めて、もともと普通の枠に収まらない生き方をしてきた自負がありますから(笑)。そういう経験から、予測不能な出来事や予定外の展開も、人生の一部として 「こういうこともあるよね」と自然に受け止めていたんだと思います。息子のこともそう。ただ、妻は一番近くで接しているぶん、葛藤や不安は大きかったはずです。周りが「気にしすぎだよ」と慰めても、彼女は絶対におかしいと早くから危機感を抱いていました。
しかし、結果的には夫婦で足並みを揃え、事実を事実として受け入れていくことができたと思います。子育てで特別なことはしていません。一般の方と同じように、その都度本を読み、調べ、自分たちにできる最善を探る毎日でした。
それが親としての唯一の職務だと
── 移籍のため千葉に居住地を移られてから、朔玖くんの本格的な療育生活が始まったと伺っています。
岡田さん:千葉に移ったのは朔玖が3歳になる直前、2歳半の頃でした。実はここで大きな縁に恵まれたんです。たまたま私の先輩の奥さんが療育の専門家で、妻とも旧知の仲だったのです。信頼関係がある方に朔玖を預けられたことは、私たち家族にとって大きな安心材料となりました。
生活のリズムはきわめて規則的です。平日の日中は送迎車に揺られて施設へ向かい、専門家による知育や生活訓練を受けます。実は当初、保育園の受け入れ先が見つからず、1年遅れでの入園するというハードルもありましたが、翌年からは午前中に療育、午後に保育園という二段構えの連携体制も整いました。
── 療育を通じて、朔玖くんにはどのような変化が見られましたか。
岡田さん:今も言葉自体は出てきていません。でも、生活の質は劇的に変わりました。トイレに行けるようになる、お箸を少しずつ使えるようになる、椅子に座って誰かの話を聞く…。これらは一般的な発達の流れにある子にとっては当たり前のことかもしれませんが、朔玖にとっては一つひとつが大きな山を越えるような挑戦です。
── その小さな成長を、岡田さんはどのようにとらえていたのでしょうか。
岡田さん:階段を一段登るのに何か月もかかることもありますから、成長といっても他の子と比較すれば本当に微々たるものです。でも、だからこそ、親として子どもの変化や小さなサインを、親がどれだけ気づけるかが大切になる。たとえば「今日は傘を一瞬だけ持てたな」とか「嫌いな食べ物にひと口だけチャレンジしたな」とか。そんな小さな変化を、一つひとつ丁寧に見つけていくことが、私たちの役割だと思っています。
よく、我が子に障害があることを認めたくないから療育を拒むという話を聞きますが、私は専門的な支援を受けられるのは、息子にとってプラスの外部環境でしかないと考えていました。障害を認識したうえで、彼に最も適合した環境を用意する。それが親としての唯一の職務だと考えていたんです。