長女が難病と診断され、不安と絶望の真っただ中にありながら、必死で子育てをしてきた小林昌代さん。その後生まれた次女にも、難病があることが判明します。思い描いていた子育てとは違う日々に、「今もときどき心が揺れる」という小林さんが、2人の子どもを育てるなかで見つけた、現実との折り合いのつけ方を伺いました。

長女が難病と診断され「目の前が真っ暗に」

── 長女の明愛(めい)さんは、生後半年で「コルネリア・デランゲ症候群」と診断されたそうですね。「コルネリア・デランゲ症候群」は、特徴的な顔立ちや発育障害、知的障害などを引き起こす遺伝性の先天異常症候群で、治療法が確立されていない難病と聞いています。診断に至るまで、どのような経緯がありましたか?

 

小林さん:妊娠中はとくに異常を指摘されていなかったのですが、35週を過ぎたころから、おなかの中で明愛の体重が増えなくなりました。その後、38週のときに帝王切開で出産。2045g、40cmと小さく生まれ、呼吸も安定していなかったため、すぐにNICUに搬送されることになりました。

 

3週間ほどで退院できたのですが、ミルクの飲みが悪く、なかなか体重が増えなくて。「どうしてミルクを飲まないんだろう、何か原因があるのかな」とずっと不安でした。その後も体重が増えない状態が続き、生後半年のときに検査を受けたところ「コルネリア・デランゲ症候群」と診断されたんです。

 

小林明愛
十分に栄養を摂れないため、経管栄養をすることになった

── 診断を受けたときは、どのような気持ちでしたか?

 

小林さん:私自身、看護師として長年働いていましたが、聞いたことがない病名でした。「娘はこれからどうなってしまうんだろう」と、この先の生活を思い描くことができず、不安と絶望で目の前が真っ暗になりました。

 

診断後は、明愛に必要なケアをしながらの生活が始まりました。そのひとつが、鼻から胃までチューブを通して栄養を摂る「経管栄養」です。チューブは週に1度、自宅で交換する必要があったのですが、明愛が嫌がって暴れるので、夫に体を押さえてもらいながらやっていました。

 

看護師として患者さんに処置をするのと、自分の子どもにするのとでは、気持ちが全然違いました。「わが子が嫌がることを自分がしなければならない」。生きるために必要なことだとわかっていても、やはりつらいものがありました。

 

── 小林さんが思い描いていた子育てとは、ずいぶん違う生活だったのでしょうか?

 

小林さん:そうですね。私が育った家では親子で買い物に出かけたり、他愛ない会話もしょっちゅうしていて。そんな生活が、当たり前にやってくると思っていました。

 

当時は妊娠や出産をする友人も多く、産後に仕事復帰するという話もよく聞いていたので当然、私も同じように子育てと仕事を両立していくんだろうなって。でも、想像していたものとはまったく違う毎日で、明愛が明日どうなるかわからない。とにかく不安しかありませんでした。

 

── 先ほどおっしゃっていた「経管栄養」以外に、日常生活で苦労したのはどんなことでしたか。

 

小林さん:コルネリア・デランゲ症候群は、知的障害を伴う発達の遅れや成長障害など、症状が多岐にわたるので、明愛にも日常生活のさまざまな場面で介助が必要でした。

 

体の発達もゆっくりで、2歳9か月ごろまで歩くことができず、車椅子での移動が中心でした。歩けるようになってからも、「待って」や「止まって」が理解できず、興味のままに動いてしまうため、ずっと目も手も離せない状態。夫が一緒のときは出かけることができましたが、私と明愛の2人だけだと、外出先でトイレに行くことさえも難しかったんです。

 

医療的ケアが必要な子を受け入れてくれる保育園も見つからず、看護師としての職場復帰も諦めざるを得ませんでした。