ようやく妊娠も13週目で赤ちゃんに重い病気が
── モデルの仕事も休んで続けた不妊治療でしたが、6年目には妊娠が確認できて、最初のころは順調に妊娠生活を過ごされていたそうですね。
彦坂さん:はい。私たちは保険適用内で不妊治療をしようと決めていて「(適用内の)6回やってダメなら諦めよう」と話していたんです。そして治療を始めて6年目の2024年、6回目の体外受精で着床し、妊娠したんです。ようやく不妊外来を卒業することができ、一般の産婦人科に移る許可も出ました。
ところが、妊娠4か月目の検査で赤ちゃんに重い病気があるかもしれないと言われたんです。担当医は、「正直、生まれてくるのは難しいでしょう」と…。90%の確率で生まれるのは難しい、出産できたとしても、さらに90%の確率で1年後も生きることは難しいと言われました。その言葉に、頭の中が真っ白になり、ショックでずっと泣いていました。
羊水検査で詳細に調べることになったのですが、検査結果がわかるのは1か月後。その間、ほとんど何も食べられないくらい気分が沈みました。検査結果では、ほぼ100%の確率で重い病気であることがわかりました。
当時は妊娠15週目、安定期に入ったら両親らにも妊娠報告をと思っていた、矢先の出来事でした。「自然に授かれる人はたくさんいるのに、どうして不妊治療をしている私の赤ちゃんがこんな重い病気をもたないといけないんだろう」とすごく苦しかったです。夫と何度も話し合い、お腹のなかの赤ちゃんとお別れすることを決めましたが、決断するのは本当に悩んだし、ものすごくつらかったです。
空に旅立った子を思うたび、「私にはもう子どもを授かる資格はない」と思っていました。せっかく授かったのに自分でさよならすることを決めるなんて…と。
── 中絶手術は女性の心にも体にも大きな負担になると聞きます。
彦坂さん:本当にそうでした。中絶手術の痛みはあまりに壮絶で。赤ちゃんを失う悲しみを麻痺させるほどの痛みでした。術後、5日間の入院期間中もその痛みが続き、周囲の人に思いやりを持てないような精神状態に。夫に思わず「この痛さを経験したことないくせに、何がわかるの?」「なんで私だけがこんな思いをしなきゃいけないの?」と言ってしまったこともあります。
そのとき、夫がかけてくれた言葉は忘れられません。「ごめんね。その痛みはわかってあげることができないし、俺が変わってあげることもできないけど、ずっと一緒にいる。悲しいのは君と一緒だよ」って。その瞬間、夫の私への心からの優しさを感じて我に返り、気持ちが徐々に落ち着いていったように思います。
採卵9回、移植11回、流産2回「気づけば8年経ち」
── すごくつらい思いをされたと思います。その後も不妊治療を続けられました。
彦坂さん:自分でもよく続けたなと思います。結局、採卵9回、移植(胚移植)11回、流産を2回経験しました。
流産を2回しているということは、2回着床したということです。何らかの理由で育つことが難しかったけれど、逆に流産した、イコール授かったと思うと、どうしても希望をみてしまっていました。たぶん10回移植して一度も着床していないとなったら、「厳しいのかな、やめようかな」という気持ちは強くなると思うんですけど。
やめる決断をするまでは、やめることは本当に難しかったです。何度もやめようと思ったし、実際、不妊治療を1か月ほどお休みしたことは何度かあったんですけど…。「どうしても子どもがほしい。もうちょっと頑張れそうかな」って自分に言い聞かせていたら、8年が経っていました。

── 8年間、すごく頑張ったと思います。
彦坂さん:自分の努力でどうにもならないことってあるんだなってすごく痛感しました。検査結果を聞くときなど、ひとりになりたくなかったので、病院で泣いて、泣きやんでからアルバイトに行く…そんな日々でした。
めそめそ泣いてしまうのは、きっと何もやることがないからだろうと思ったんです。泣いても何も変わらない。もちろん悲しむことも大事だけれど、「なにくそ」って思わないと治療は続けられないと思いました。
だから、不妊治療中は、治療のことを考える暇がないくらい忙しくしたいと思って、あえていろいろスケジュールを組んでいました。特にアルバイトの仕事は、検査結果の後は必ずといっていいほどシフトを入れてもらっていました。プライベートで何があっても、職場では仕事に集中しないといけないと自分を律することで、冷静でいられたような気がします。
取材・文:たかなしまき 写真:彦坂まなみ