俳優の「2世」にはなってほしくなかった

── 医療の道へ進まれたのですね。よく2世と言いますが、「俳優になりたい」「俳優にさせたい」というお気持ちはあったのでしょうか?

 

根津さん:俳優にはあまりなってほしくなかったですし、息子も大変な職業ということは理解していたと思います。医学部に進み、医師になってくれたのは結果的によかったです。夫のきょうだいも私の兄も医師ですし、それも家系といえば家系なんですよね。

 

俳優は基本的に替えが効かない商売です。撮影が始まり、舞台の幕が開けば、熱があろうが腰が痛かろうが演じるしかない。とくに夫と同世代の俳優はみんな「無茶をした」世代で、病気の治療は後回しにする人も多かった。人気があれば周囲がチヤホヤしてくれるけど、出演が減れば誰も気にしない存在になる。そういったことは折に触れて息子に伝えてきたので、ある意味「芸能界に入るな」という誘導だったのかもしれません(笑)。

 

── 息子さんは今年、現役医師をしながらメディカルウェアブランドをプロデュースし、会社を立ち上げられたそうですね。甚八さんが病に倒れた後、専業主婦からジュエリー・プロデューサーになった仁香さんの起業家魂のような影響もあるのではないでしょうか?

 

根津さん:というより、俳優という仕事を失ってからの父親の姿を見ているから、ひとつの職業だけで生きていくことが心配だったのかもしれません。息子はあまり自分のことを語らないので、本人から聞いたわけではないのですが。寡黙で聞き役に徹するところは、夫にそっくりです。うちに友だちを招いても、みんなが話しているのを黙って聞いています。

世間が忘れる寂しさを感じながら

根津甚八 自宅
甚八さんとの思い出の品も保存されている落ち着いたトーンのご自宅

── 根津甚八さんは2010年に俳優を引退されましたが、2015年『GONIN サーガ』で一度限りのスクリーン復帰を果たし、それが遺作となりました。引退後は人前に出るのを避けていらっしゃったそうですが、当時はどんなお気持ちでしたか?

 

根津さん:映画公開の翌年に亡くなったのですが、なんとなく、死が近いのを悟っていたのではないかと思います。私の中でも「そろそろ覚悟しなくては」と感じていた時期でした。1995年、石井隆監督の『GONIN』に元刑事の強盗役で出演し、監督とも共演者のみなさんとも、その後も交流が続いていたんですね。

 

その石井監督が19年ぶりに続編を撮ることになり、「どうしても手伝ってほしい、根津さんでなければダメなんだ」と、説得のため自宅に足を運んでくださいました。さらに「できるかできないか、脚本を読んで決めてほしい」と、夫が車いすや寝たきりでも出演できる役を用意してくださいました。「一度は引退した身だから」と迷っていた夫も脚本を読んで「石井監督の作品なら」と、出演を決めました。

 

── 内から湧き出るような鬼気迫る演技に、後輩の俳優陣も大いに刺激を受けたと、当時舞台挨拶などで語っていらっしゃいました。

 

根津さん:でもやっぱり、いま20代、30代の若い俳優さんは、夫のことをほとんど知らないと思うんです。40代がギリギリじゃないかしら。私は、家に帰れば夫の部屋があって時々、かつて出演していた頃の映像をふと見ることもありますし、家族は忘れることなんてできない。でも世間は忘れてしまうと思うと、とっても寂しいです。

 

息子にとっても、俳優としての姿より、病気になってからの父親の印象が強いかもしれないけれど、「そこにいた」ことは幸せだったはず。病に苦しんで弱音を吐いた姿も家族は見てきたけれど、世間の人には、かっこいい、色気がある、目が素敵、声が渋い、と評された夫の素敵な姿を覚えていてほしい、忘れないでほしいと願っています。

 

取材・文:富田夏子 写真:根津仁香