コンビ結成3年でキングオブコントに準優勝するも、謹慎やコロナ禍により、仕事は激減。ウーバー配達員、動画編集、キッチンカーなど、さまざまな仕事に挑戦した元2700のツネさん。譲れないという生き方を貫きながらも、苦労をかけた妻への本音を口にします。

早すぎるブレイク「不安でいっぱいだった」

ツネ
「2700」ではリズムネタで大ブレイクしたツネさん

── 2008年に、八十島(やそしま)さんとお笑いコンビ「2700(にせんななひゃく)」を結成し、「右ひじ左ひじ交互に見て」のリズムネタで大ブレイクしたツネさん。2011年にはコンビ結成3年目にして「キングオブコント」で準優勝の快挙を成し遂げました。当時はどんな心境でしたか?

 

ツネさん:結成3年目での準優勝は「順調」「快挙だ」とよく言われるのですが、実際はそうでもありませんでした。じつはコンビを結成して8か月後にも「キングオブコント」の決勝に進出していたんです。でもそのときは最下位。その後、大阪から上京して、風呂なしアパート暮らしでアルバイトしながら、くすぶった時期を経ての準優勝だったので、悔しさをバネにやっと目標を達成できたという気持ちです。

 

ただ、準優勝を喜ぶ一方で、「売れているのは絶対、今だけに違いない」という不安が渦巻いていました。注目されてテレビ番組に呼ばれるようになっても、ネタ以外のトークがあまりできず、(会話の)返しが弱いなど、問題だらけでしたから。劇場の下積み経験が浅く、実力が伴っていなかったんです。ずっと怖くて、コンビでも互いに焦っていき、相方との仲は次第に悪くなってきました。

 

── 順調に見えて、早すぎた大ブレイクに苦しんでいたのですね。

 

ツネさん:数年後には仕事が減り始めたので、家計を補うために、芸人活動と並行し、不動産会社の営業職に就きました。しかし2019年に、芸人として事務所を通さずに受けてしまった仕事が原因で謹慎処分となり、不動産会社も辞めざるをえなくなりました。

 

子ども3人を含む一家5人の生活を守るため、それからいろんな仕事につきました。お笑いコンビ「ラフ・コントロール」の重岡さんが経営するエアコン清掃会社で雇ってもらったり、ウーバーの配達員をやったり。謹慎自体は3か月程度でしたが、謹慎明けも仕事はほとんどないうえにコロナ禍も重なったので、複数のアルバイトを掛け持ちして生活していました。

 

── 家計を支えるために必死だったんですね。当時、各地にキッチンカーで出店もしていました。これもバイトの一環だったんですか?

 

ツネさん:コロナ禍で仕事がないときに、友人であるラーメン屋オーナーが「店前でキッチンカーを置いて、かき氷を販売するので手伝ってくれませんか?」と声をかけてくれたのがきっかけで、キッチンカーに初めて関わりました。それがとても楽しくて、自分でも経営したくなったんです。たまたまキッチンカーを格安で譲ってくれる人が見つかり、2か月ほどいろんなキッチンカーで修行して、クリスピーポークの店を出しました。芸人仲間は次々と来店してくれたのですが、コロナ禍でイベントなどの出店機会が限られ、一般のお客さんを相手にした売上はなかなか伸びませんでした。

 

そこで他の収入を得ようとYouTubeを検討しましたが、自力で収益化は難しいため、すでに大成功を収めていたカジサックさんに相談してチームに加わり、撮影や編集を手伝ったんです。でも僕は、編集経験がなかったので、YouTubeチャンネル「カジサックの部屋」のメイン動画1本を編集するのに丸々3日間もかかってしまいました。今まで演者しかやってこなかったので、裏方がこんなに大変だとは思いもよりませんでした。これで学んだスキルは、YouTubeチャンネル「ツネファミリーちゃんねる」で役立っています。

芸人としてアメリカで2年間挑戦するも

──「ツネファミリーちゃんねる」は、ご家族との楽しそうなやりとりが人気ですね。この時期、動画編集、キッチンカーなど複数の仕事をこなしながら、一方で「HAPPY MAN」としてアメリカにも挑戦し、話題になりました。

 

ツネさん:中学生のころからずっとアメリカに憧れていて、芸人としてアメリカで活躍するのが長い間、夢だったんです。キッチンカーでいろんなイベントに出店していたところ、偶然「アメリカのフェスで出店の手伝いをしてくれないか?」というお話をいただいたんです。

 

アメリカのジャパンフェスに出店し、同時にステージでアメリカ向けに体を張った芸を披露しました。屋外の簡易ステージでしたがお客さんの反応もよくて、その経験によりもっと本腰を入れてアメリカに挑戦したい思いが強まって。相方に相談し、2023年に「2700」の脱退を決めました。相方は海外進出にもともと興味がなかったので、僕が自分の夢をかなえるためにはやむをえない選択でした。

 

──「カジサックの部屋」では、カジサックさんたちがアメリカでのステージを見に行く回があります。ツネさんは何百人もの米国人観客の前で英語を話し、30分間客席をわかせていました。音楽とコメディで有名なニューヨークのアポロ・シアターも目指されていたそうですが、その後は?

 

ツネさん:2年間に渡り、アメリカでステージに立ったり、オーディションを受けたりしました。その経験から本格的にアメリカ進出するには、ビザをとる必要があるという結論に達したんです。一時は、家族でアメリカ移住も考えました。日本で弁護士に相談して、日本での実績を証明するために出演歴や掲載記事などをまとめた書類を作成し、ビザ申請の準備をしました。ただ、弁護士に「申請自体は可能だが、この実績では弱い」と言われ、申請は断念することに。

 

でも、あきらめたわけではありません。いつかまたアメリカに挑戦すべく、まずはビザを取得できる実績を残すため、日本で基盤を固めてがんばることにしたんです。