いじめからの唯一の逃げ場所は日記の中だけだった

松尾知枝
子ども時代は施設も学校も居心地が良い場所ではなかったと語る松尾さん

── 施設内でいじめとかはなかったですか。

 

松尾さん:残念ながらありました。私のように目立たない子は、気の強い子やリーダー格の子たちの「虫の居所」が悪いと、標的にされやすかったんです。暴言を浴びせられたり、爪で引っかかれたり…。やり返さないとエスカレートするので必死に抵抗もしましたが、状況が収まることはありませんでした。

 

理由なんてないんです。感情が抑えられない子が多かったし、グレる子がカッコいいような雰囲気が施設内にあったのかもしれません。逆に、悪いことができない子は「勇気のない弱い奴」と認定される雰囲気があって、地味に真面目に生きている私のほうが変なのかなと、ずっと思っていました。

 

── 学校でのいじめは?施設暮らしだからといって、差別されることはありましたか。

 

松尾さん:当時、私の通っていた中学校にはこの児童養護施設からたくさんの子が通学していたので、学校側も同級生もそれなりに理解があり、施設暮らしだからといって差別されることはされなかったです。ただ、施設暮らしとは関係なく、私はおとなしかったから学校でもターゲットにされやすいのでしょう。「死ね」と書かれたメモ紙を丸めて投げられるとか、ハードないじめも受けました。

 

── そうしたツラい状況のなかで、心の拠り所はありましたか。

 

松尾さん:唯一の心の逃げ場所は日記を書くこと。あるとき施設のボランティアの方にディズニーランドに連れて行っていただき、滅多にない素晴らしい体験・思い出を残したいと思って、鍵付きのノートを購入したのが始まりでした。

 

日記を書いているときは素直に自分を吐き出せる。鍵を自分で持っていればほかの人に見られることもないので、人に言えないこと、つらいこと、学校の愚痴をいっぱい書いていました。10歳から書き始めた日記は36年経った今もなお続けていて、何十冊にもなります。

 

また、小学校6年生のとき、施設の吹奏楽部に入ってトランペットを始めたことで、かなりプラス志向になりました。実家も施設も私にとっては地獄でしたが、トランペットを吹いているときは別でした。「ひとつの曲を練習して練習してちゃんと吹けるようになりたい」といった小さな目標ができ、そこに向かってひたすらまっしぐら。夢中になりました。