2011年、60歳のときにNHK『あさイチ』に料理の「スーパー主婦」として出演し一躍、時の人となった足立洋子さん。実は53歳のときに最愛の夫を亡くしています。あれから21年。当時の思いを改めて伺うと、足立さんから返ってきたのは意外なひと言でした。

夫を亡くした当時の悲しみは「よく覚えていない」

ご主人の一周忌を迎えるミサのときには「もう会えないの?」と涙が止まらなかったそう

── 今年74歳を迎えられ、ご主人を亡くされてから21年が経ちました。最愛の人を突然失う悲しみは想像を絶するものかと思いますが、当時はどのように受け止められたのでしょう。


 
足立さん:
主人が亡くなったのは本当に突然で。長いこと一緒に暮らしていた長男が上京することになり、「これから夫婦のふたり暮らしが始まる」まさにその矢先のことでした。長男を見送ったあとに主人とふたりだけで囲んだ朝食がなんだか照れくさくて。「でも、これからはずっとこの光景が続くんだな」と思ったのですが、結局、それが最初で最後となりました。

 

この日、主人はゴルフ仲間の家の芝生を見に行き、友人が家に入られたときに芝生の上で倒れたようです。治療する間もなく、私が駆けつけたときにはもう帰らぬ人となっていました。いわゆる「突然死」です。澄みきった青空が眩しいほどに美しい、秋の日でした。

 

私より10歳年上でしたし、好奇心が旺盛でやんちゃでもありましたから、主人を見送るのは私だろうと、なんとなくは思っていたんですね。主人が逝ったとき、「ああ、その日が今日か」と思ったことを鮮明に覚えています。

 

── これから始まる新生活に少なからず胸躍らせていたときに訪れた突然の訃報は、悲しみがよりいっそう深いですね。

 

足立さん:はい。そうだった、と思うんです。でも…正直に話すと、当時のことはよく覚えていないの。こうして聞かれると、たしかに、亡くなって2~3か月はお料理すら作れなかったし、急に悲しくなってひと晩中、泣き腫らした夜もあったなぁって思い出すんです。一周忌を迎えるミサのときに「もう会えないの?」と涙が止まらなかったことも、記憶としてはあって。だから、当時、深い悲しみのなかにいたのはたしか。

 

でも、私がものすごく薄情な人間なのかしら。当時の生々しい感情っていうのはほぼ喪失していて。いったいどのぐらい悲しんだのか、どういう状態で悲しみが湧き上がってきたのかを全然、思い出せないんです。最近、世代的にお友達にもご主人を亡くす方が増えてきて、彼女たちがひどく悲しむ姿に触れることもよくあるのだけれど、「私もこんなに悲しんだかしら?」って不思議に思うぐらい。

 

でもね、一周忌を終えるまでは「私にはもうこれから先、主人のためにしてあげることはないんだから、主人を無事に天国へ見送らなければ」という使命感を強くもって行動していたことは、今でもはっきりと覚えています。

 

葬儀を済ませ、年賀状やクリスマスカードの欠礼状をみなさんにお送りするときに、ふと、主人が大好きだった画家の金井英明さんの絵を使わせていただきたいと思いついて。すぐに調べてお電話して、どの絵を使うか、文面はどうするか…なんてご相談して。当時は考えもしなかったけれど、そうやって主人のために時間を使うことで自分の気持ちを整理していたのかなと、今ではそんなふうにも思いますね。 

 

── ご自身に与えられた役割がまた、ご自分を律してくれたとも伺いました。

 

足立さん:そうなんです。当時、私は『全国友の会』(雑誌『婦人之友』の愛読者によって生まれた全国規模の団体)で、北海道部の委員として、また料理講師としても、活動していたのですが、その仕事にもずいぶん励まされました。気持ちが沈むなかで仕事をすることは簡単ではなかったけれど、自分がやりたいと思って始めたことを辞める、という選択肢は私にはなくて。役割があることで、潰れしまいそうな自分をなんとか立ち上がらせてくれたと、今でもありがたく感じています。

21年経た今「感謝だけが心に残っている」境地に

足立洋子
長年続けてきた『全国友の会』の活動が、足立さんを喪失の悲しみから立ち上がらせたという

── ご主人を亡くしてまもなく、仲のいい後輩から「あのとき生きてくれなくてありがとうと思うときが来るから」という言葉で励まされたと伺いました。聞く人によっては、ともすれば誤解を招きかねない言葉でもありますが、足立さんはどう感じましたか?

 

足立さん:この言葉は、私が息子の様子を見に上京するときにかけられた言葉です。主人が亡くなって2か月後のことでした。まだおおいに悲しみに暮れるなかで、『全国友の会』の仕事で東京に行く用事ができたんです。周囲は休むよう勧めてくれたけれど、ひとり暮らしを始めたばかりの息子の様子も気になっていましたから、重い腰を上げて行くことにしたのね。

 

そのときにかけられた言葉です。後輩の彼女も、実は1年に及ぶ闘病生活を経て、7年前にご主人を亡くされていたんです。そんな彼女が「ご主人が生きていたら、息子さんの様子見ぐらいなんかで東京に行くとか言っていられないのよ。私はもう、今までパパありがとうっていう心境だよ」と、先ほどの言葉に続けてくれました。

 

彼女は、「時を経ることで喪失の悲哀はなくなり、感謝だけが心に残る状態になるから大丈夫よ」と、当時、悲しみに打ちひしがれていたであろう私に伝えてくれたのだと思います。亡くなって1~2年は到底そんな気持ちにはなれなかったけど、信頼する後輩の言葉に「私にもそういうときが来るのかなぁ」と漠然と考えたことは覚えています。

 

そして21年が経った今では「ああ、わかる」「たしかにそう思える日がきたなぁ」という感覚。主人が亡くなって7年後に、私にとっては大きな転機となる、NHKの朝の情報番組、『あさイチ』に出演することになるのですが、このときに主人が生きていたら、あんなにもうまくはいかなかっただろうと今になっても思うんです。もちろん、生きてくれていたら、それはそれで楽しく過ごしていたんでしょうけどね。

 

── 今もお忙しいご様子ですが、新しい趣味も始められたそうですね。

 

足立さん:そうなんです。ずっと続けられるか迷っていた教会の聖歌隊に2年前に入会して。日曜日はその練習で大忙しなの。朝9時前には家を出て、帰りは買い物をして気づけば18時近く。くたびれているから、その日の夕食は、最近見つけてヒットだった冷凍食品の中華あんかけ麺をレンジでチンしてね。そんなふうに気ままに過ごしても、誰にも何も言われないのは、やっぱり気楽です。

 

主人は私に何も言わないひとでしたから、きっと遅くに帰宅して冷凍食品をチンして出しても、ふたりで「おいしいねえ」と言い合って食べたでしょう。でも、これも毎度となればやっぱり私自身の気が引けますから。

何も言わない夫におでんを作り続けた主婦の矜持

── それは、知らず知らずのうちに、ご主人に気をつかっていたのでしょうか?それともご主人への愛情からくることなのでしょうか。

 

足立さん:たぶん、私がわずかばかり持っていた主婦としての自覚、主婦としての矜持みたいなものね、きっと。実際、私がどれだけ自由に過ごしていても、主人に何も言われたことはないの。そんな状況に「これじゃあまりにも酷いでしょ」って自分で自分にツッコミを入れる感じというのかな。自分に対して、後ろめたさを感じるんです。不思議なのは、この感情は別の家族、たとえば私の母や娘、息子たちには湧かないもので、唯一私に何も言わなかった夫にだけ感じていたものなのよね。

 

── ご主人が何も言わなかったからこそ、後ろめたかったのですね。

 

足立さん:そうだと思います。『全国友の会』の仕事の東京出張で数日家を空けることがあったときも、主人は「作らなくていい」と言ったけれど、私としてはそうもいかない。だから、よく大きな鍋におでんを作ってね。野菜もタンパク質も入っていて栄養はもちろん、煮込むほどおいしくなるから、これ以上のものはないと思って。でも主人は「僕はあなたがいない間、おでんに監視されているような気がする」と言っていたから、むしろ嫌だったんでしょうね。そんなことも懐かしく思い出されます。

 

今はそれすら考えなくていい、気ままなひとり暮らしです。自分の時間すべてを自分のためだけに使える今があるのは、主人のおかげ。『全国友の会』の仕事をしたり、NHKの『あさイチ』に呼んでもらってすぐに駆けつけたり、料理家としてレシピ本を出版したり…。きっとそんなふうにただ目の前のことに必死に向き合って過ごしてきた21年という長い年月が、主人を亡くした悲しみをすっかり喪失させてくれたのでしょうね。今あらためて、夫を亡くしたとき、後輩にかけられた言葉の真意を実感しています。

 

取材・文:遊馬里江 写真:足立洋子