「私、いらないんだ」娘の拒絶に知った本当の役目

── 同じ障害のある長女と次女では、子育ての難しさに違いはありましたか。
運上さん:次女は、経過が予想できたからこそつらかったです。「リハビリやてんかんの治療を早く始めれば、障害を軽くできるのではないか」と、ずっともがいていました。でも、次女もミルクが飲めなくなり、首もすわらない。「私が頑張りきれなかったからでは」と自分を責めました。
── 障害のある子どものケアのため、仕事を辞めざるを得ない親も少なくありませんが、運上さんはもともと働いていた薬剤師に復帰されます。きっかけは何だったのでしょう。
運上さん:障害を理由に保育園はすべて断られ、預け先がない。薬剤師の仕事が好きなのに働けず、社会から置いていかれるような孤独を感じていたんです。でも「障害のある子どもがいるから」と娘のせいにする自分が嫌になったんです。娘は必死に生きているのに、私は働ける方法を本気で考えたのか、と。そこからまずはパートで仕事に復帰。次女の出産後は日中の預かり先もできたので、より働けるようになりました。仕事は、障害児の母ではない自分を取り戻せる時間でしたね。
── ところが、長女が特別支援学校に通い始めると、親の付き添いが必要になりました。そこから生活はどのように変わっていったのでしょう。
運上さん:娘たちの送迎と付き添いで平日は身動きが取れなくなり、働けるのは夫に子どもを見てもらえる日だけになりました。過労がたたって肺炎で点滴するなど、心身ともにギリギリでした。長女は家族以外と過ごす経験がなかったので、心配で学校でもずっとそばに張りついていました。ところが小学1年生の秋頃、思いがけない形で長女に拒まれたんです。
── 「拒まれた」というと?
運上さん:先生の質問に私が腹話術のように「こうだよね」と先回りして答えたら、ものすごく嫌そうな顔で睨まれて…。その瞬間、「あ、私はいらないんだ」と気づきました。娘にも意思があるのに、私がしゃしゃり出るのが嫌だったんですね。娘はちゃんと親離れを始めていたのに、離れられなかったのは私のほうだったんです。
── 心配や配慮していたつもりが、子離れできていない状況になってしまっていたと。その気づきは、娘さんとの関わり方をどう変えましたか。
運上さん:そばにいると、塗り絵の色にまで口を出したくなるので、それからはなるべく授業を見ないようにしました。長女は私とは違う人間で、自分の意思がある。当たり前のことに、ようやく気づいたんです。娘の生き方を決めるのではなく、本人の意思が尊重される環境を整える。それが私の役目だと考えるようになりました。
また、薬剤師の仕事は復活しましたが、「障害がある子に付き添うのが当たり前なのに、仕事をするなんて」と避難されました。付き添い生活の閉塞感が、母親同士の関係を歪ませていたのかもしれません。そのなかに居続けなければならないことに、絶望を感じていました。
子どもの居場所も親の生活も、当たり前にしたかった
── そんな絶望的な状況のなかで、どのようなことをはじめたのでしょうか。
運上さん:学校とは別に、障害のある子どもを育てるママ友たちがいました。「子どもたちの居場所を作りたいね」と語り合ったり、一緒にイベントを開いたり。そういう時間がすごく楽しかったんです。その仲間たちと2017年、NPO法人ソルウェイズを立ち上げました。
── 障害児を預けられる場所がないなら、自分たちで作る。そこまで運上さんを突き動かしたものは何だったのでしょう。
運上さん:区役所から送られてきた障害者施設一覧を見ると、利用者の平均年齢は41歳。幼い娘たちの居場所として選ぶのは違うなと思いました。元気な子どもには保育園や学童があるのに、障害のある子どもの親は「預かってください」と頭を下げて回らなければならない。預けることに罪悪感を持たされるのは、おかしいですよね。
私自身、病気のことで頭がいっぱいになり、子育てが「介護と管理」に変わっていました。小さくてかわいい時期は戻りません。もっと抱きしめればよかった。だから、同じようにケアを担うお母さんたちには、ひとりで抱え込まず、子育てをしてほしい。子どもの居場所も親の生活も、当たり前にしたかったんです。
そうして活動を広げ、2025年には医療型ショートステイから短期入所施設に変更などを備えた「あいのカタチ」を石狩市に作りました。娘たちのように、重い障害で働くことが難しい人を「税金のムダ使いだ」と言う人もいるかもしれません。でも、娘たちがいたから、こうした施設ができ、雇用も生まれた。社会に何の影響も与えない存在ではありません。
すべては我が子への愛情から始まった「壮大な親バカ計画」です。施設の子どもたちも、みんな自分の子だと思っています。ひとりで抱え込むお母さんの肩の荷を下ろし、「私も一緒にその子育てに加わる」思いで向き合っています。
取材・文:西尾英子 写真:運上佳江