1980~90年代、アイドルグループ「ribbon」の一員として活躍していた松野有里巳さん。ソロ活動が増えた頃「何もできない自分」に失望し、一時は引きこもり生活に。その後35歳でスポーツインストラクターに転身し、53歳の現在も現役です。最近はイベントを開催するなど、芸能活動も再開。挫折でもがき続けたときを経て、「50代の今、いちばん体が動くし声も出る」と、笑顔で話します。
永作さんたちとribbonでデビューするも

── 松野さんは1990年年代前半、アイドルグループ「ribbon」の一員として活躍されていました。芸能界入りは16歳のとき、フジテレビのオーディションを経て9次審査を勝ち進み「乙女塾」1期生として夕方の生放送『パラダイスGoGo!!』に出演されたことがきっかけ。生放送の結果に応じて毎週、熾烈な生き残り争いがあったそうですね。
松野さん:はい。毎回、結果を残せたかどうかがすべてで次の週も出られるかはわかりませんでしたけど、何とかくらいついて生き残っていました。ダンスが好きなふつうの高校生でしたけど、度胸はあったのかもしれないです。生放送中、進んでボケたり一発ギャグをしていました(笑)。そのうちCoCoがデビューして、その2か月後にribbonとして私と永作博美さん、佐藤愛子ちゃんがデビューしました。そこからはもう芸能活動が中心の生活になり、ついていくのに必死でした。
── デビューから5年後、1994年頃からribbonとしての活動は休止されています。
松野さん:各メンバー、舞台やバラエティなどのソロ活動がだんだん増えていったんです。その結果、20歳を過ぎたあたりから「私は芸能界でがんばれる人間じゃない」と感じるようになりました。ribbonでは3人だったから楽しくできていたけれど、ひとりになると自分の力不足を痛感して、つらくなってしまって。事務所に「休ませてほしい」とお願いしたんです。その時点で1年半くらい先までribbonの仕事が決まっていたので、それをまっとうしてから事務所を辞めることに。事実上、芸能活動を休止しました。
── どのような場面で力不足を感じたのでしょうか?
松野さん:ひとりでテレビのバラエティ番組などに出演すると、その場その場の瞬発力が試されますし、メンバーに頼ることもできないから、だんだん引き出しがなくなってくる。そのうち「私は歌も見た目も中途半端でバラエティにも向いていない。なんでここにいるんだろう」って思い始めて、不安だけが大きくなっていったんです。
事務所側も「じゃあこんな仕事はどうか」といろいろ提案してくれるんですけど、どうしてもそれに応える自信がなくて。では「お休みしてください」ということになり、グループを解散することもなく活動休止に突入しました。
引きこもりのゲーマーに「3年間誰とも連絡せず」
── お休みの間は、どう過ごしていらっしゃったのですか?
松野さん:引きこもりのゲーマー生活です。外に出れば「ribbonの松野さん」と指を指されるので、引きこもるしかなくなって。朝5時までNINTENDO 64に没頭するような生活でした。でもテレビをつければ、今まで一緒にアイドルしていたみんなが出ている。「なんで私はあの場所に立ち続けることができなかったんだろう」と、自分で自分を責めていました。
ribbonのメンバーは何度も連絡をくれて「どうしたの?」「何で相談してくれなかったの?」と声かけてくれるんだけど、「どうしても自分に自信が持てない」と返事するしかなくて…。他の仕事仲間も心配して連絡してくれるけど、自分でもこれから先何をしたいかわからないし、活動休止自体が正解だったかどうかもわからない。申し訳なくて何も言えないから、その後の3年間は誰とも連絡を取らずにいました。
── 25歳で作曲家のたかはしごうさんとご結婚されたのを機に、またみなさんと連絡を取るようになったそうですね。
松野さん:さすがに結婚することはみんなに伝えたいと思い、アイドル仲間や事務所でお世話になった方に連絡をして再会し、そこからはよく会うようになりました。コロナ前までは、現役当時のチーフマネージャーが1年に1度、ribbonメンバーや当時のスタッフに声をかけて食事会を開いてくれていたんですよ。