家を出た瞬間から、「あれ?ガスコンロ閉めたかな」と、何度も自宅に帰って確認してしまう。そんなことを繰り返し、落ち込んでやる気も出ない。更年期では?と思うもそうではなく、メンタル不調が続いたribbonの松野有里巳さん。遠因にあったのは子宮全摘の手術でしたが、「自分は大丈夫と思い込まないで」と、当時のことを振り返ってくれました。

ひどいときは1時間に1度トイレへ

松野有里巳
子宮全摘の手術後は、リハビリのため点滴を持って院内を何度も往復

── 1980、90年代にアイドルグループ「ribbon」として活躍し、現在はスポーツインストラクターをされている松野有里巳さん。2023年、50歳のときに子宮を全摘出されています。子宮頸がんの疑いがあったそうですね。

 

松野さん:腹腔鏡手術で子宮と卵管を全摘出しました。もともと、28歳のときにも子宮頸がん検査で「3B」の結果が出ていたんです。3Bというのは「初期がんの疑いがある、がんになるかもしれない細胞がある」段階ですが、当時は結婚してまだ3年。

 

子どもが欲しかったこともあり、子宮の入口だけを切除する子宮円錐切除手術を受けました。その後、残念ながら子どもを持つ夢は叶わなかったのですが、定期的に検診を受け続けて48歳のとき、また「3B」の細胞が見つかりました。でも、それから何度か検査をしたものの、正常な細胞しか見つからなかったんですね。そして2年後、再び「3B」の細胞が見つかって。しばらく経過観察を行うか、子宮を摘出するかという選択を迫られました。

 

── あくまでがんの疑い、がんになるかもしれない細胞、という診断のうえ、毎回その結果が出るわけではないから判断が難しいのですね。

 

松野さん:私の場合、20代で子宮円錐切除手術を受けているため、細胞が採取しづらく、検査で正確な結果が出にくいということでした。子宮口の切除した部分がキュッと狭まっているため、奥のほうまで細胞が取れないらしいのです。ただ、エコー検査などで子宮筋腫が複数個できているのもわかっていましたし、そのせいか、40代後半になってから月経過多で生理のたびにものすごく出血量が多くて困っていたんです。

 

ひどいときは1時間に1回トイレに行って血がもれてないか確認しなくてはいけないくらい。年齢的にも50歳で、「がんへの不安が取り除かれて、生理の煩わしさもなくなるなら、子宮を取ったほうがいい」と、最終的には自分で手術を決めました。

 

── 結果的に摘出した子宮からがん細胞は見つかったのですか?

 

松野さん:病理検査の結果、幸いがん細胞は見つかりませんでしたが、取り出した子宮の写真を見せていただくと筋腫は9個もあり、大きいものは8センチほどに。手術後は生理の煩わしさがなくなったので、がんではなかったのですが摘出してよかったです。

 

それまで出血を気にして避けていた、白いパンツやスカートがいつでも履けるようになりましたし、「今後、子宮頸がんや子宮体がんになるかもしれない」という不安もなくなりました。ただ、手術の影響だけではないと思うのですが、術後はホルモンバランスや自律神経が乱れて、不安神経症気味になり、うつ症状も出てしまいました。

 

── どんな症状があったのでしょうか。

 

松野さん:気分が落ち込むことが増え、何もやる気が起きなくなりました。私はスポーツジムでインストラクターの仕事をしているのですが、手術後に転んで手の指5本の骨を折り、仕事復帰が遅れて半年ほど経ってからになってしまいました。仕事をせず家にいるせいか、気分がどんどん落ち込んでいくんです。

 

やっとインストラクターに復帰できたものの、当時は仕事も過渡期でした。それまではスポーツジムの会員さんなら誰でも受けられるレッスンをしていましたが、ちょうど個別の有料レッスンをメインにすることを決めていた時期だったんです。そのため、「有料でもレッスンを受けたいといったお客様が一人も集まらなかったらどうしよう」「お客さまに満足いただけるレッスンができるか」と、不安になる要素がいっぱい。自分で自分にプレッシャーをかける状況を作り出していました。

 

レッスン前は毎回不安で、手足が冷たくなって震えてくるんです。レッスン中は周りに心配されたくないから、何とか自分でスイッチを入れてがんばるんですけど、終わった後はものすごく具合が悪くなって着替える気力もわかない状態に。そういうことを繰り返しているうちに、食欲がなくなり、夜も眠れなくなり、つねに窓を開けて呼吸していないと息苦しく感じるようになりました。