アイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとして芸能界デビューし、元祖・崖っぷちアイドルのキャラクターで親しまれている熊切あさ美さん。 初のフォトエッセイ『元祖崖っぷちアイドルの熊切あさ美が、全肯定BODYを手に入れた理由』では、幼少期のいじめ体験、チェキッ娘時代の葛藤など、対人関係で波瀾万丈な半生を赤裸々に明かし、話題になりました。苦境を乗り越えてきた強さの秘密を伺います。
「いじめの経験を拭いたい」が芸能界入りの原点
── 1998年に、チェキッ娘のメンバーとして本格的なデビューを果たした熊切さん。芸能界を目指してオーディションを受け続け、48回目にしてようやく手にした合格だったそうですね。夢のために執念ともいえる挑戦を続けられたのは、どんな思いからだったのでしょうか。
熊切さん:チェキッ娘は「平成のおニャン子クラブ」として生まれた、1年限定の「アイドル育成プロジェクト」。じつは私は俳優になりたくてオーディションを受け続けていたのですが全然、合格できませんでした。48回目にして合格できたのが、アイドルオーディションのチェキッ娘だったんです。
芸能界を目指したきっかけは「いつか芸能界に入って、いじめた子を見返してやりたい!」という思いからでした。転勤族の家庭だったので、小学校が3回も変わって、転校先でいじめにあってきました。引っ込み思案で体型もガリガリにやせていて、いつもおどおどしていたから、いじめの標的になったんだと思います。コソコソと何か言われたり、仲間に入れてもらえず、あからさまに避けられたり、孤独な時間を過ごす日が多かったです。
今思えば、親に言えばよかったのですが、心配させたくない思いがありましたし、「どうせまたすぐに引っ越しするからそれまでの我慢」と、自分に言い聞かせていました。習い事をしていたので、(学校だけではない)逃げ場を確保できていたこともよかったと思います。そして、そのとき抱いた「いつか輝きたい」という反骨精神が、「なんとしても芸能界へ入る!」という夢へとつながりました。
いじめられたことって大人になっても忘れないんですよ。芸能人になって、当時いじめてきた子から連絡が来たり、久しぶりの再会で話しかけられたりすることもありましたが、逆にそういう子に優しくして、いじめたことを後悔させようと思いました(笑)。
「みんなライバル」芸能界で決めたマイルール
── 自分の手で合格を勝ち取り、見事に芸能界入りを果たしたわけですが、チェキッ娘時代もまた、さまざまな試練が待っていたそうですね。
熊切さん:チェキッ娘になったとたん、毎日、帯でレギュラー出演して、歌番組にも出られるようになりました。CDも出して、雑誌にも載せてもらい、すごく楽しい夢のような日々でした。だから「これからは芸能界の華々しい将来が待っている」と思い込んでいて。でもそれは勘違いで、「この世界は甘くない」ことに徐々に気づいていきます。それらはチェキッ娘という組織にいるからできることであり個人の力ではありません。1年のプロジェクトですから、終わってしまったあとのことを考え出してからは、毎日が不安でした。
活動中はみんながライバルであり、つねに比べられる環境。立ち位置は競争ですし、コーナーを持てるかどうかも変わります。親しくしていても、ライバルだからすべてを信用しちゃいけないんだということも学びました。
グループでの活動で何かに選ばれるとき、何が評価されたのか理由がわからないし、理不尽なこともあります。正しいことがわからないから、がんばり方もわからなくて、模索する日々で。それに、私はフロントメンバーではなかったので、つねに余裕もなくて、「ここでがんばらなくてはいけない」と奮起したことが、結果的にはグループ終了後も芸能界に残れた理由かもしれません。

── 熊切さんが芸能界に残るための処世術として「同世代の芸能人と仲良くしない」ということを心がけられたそうですね。
熊切さん:同世代の芸能界のお友だちができたのは、本当にここ10年ぐらいのことです。アイドル時代はみんながライバルに思えて、同世代の芸能人の友だちは作らないようにしていました。仲良くすることによって、焦ってしまう自分がいたんです。私はオフだけど、あの子は今日仕事なんだとか。年中、人のことを気にしている自分がイヤになりました。
その判断はあっていたなと思います。たとえば、もし同世代の芸能人と付き合っていたら、きっと自分の身の丈に合わない見栄を張り続けて、派手な世界でウソの自分を演じ続けていただろうなと。そして、どこかでボロが出たり、踏み外してしまったりしていただろうなとも思います。
当時は芸能界の方でも年代が違う方とは積極的に交流させていただき、かわいがってもらいました。いろんな話を聞けて、それが今となっては財産になっているなと思います。