失いかけた命「毎日得した気分で」生きる
── ご自宅でのヨード制限や甲状腺をとったことによる体温調整の難しさという影響はあるものの、以前と変わらず各地の盆踊りで活躍される様子に安心しました。2025年の大阪・関西万博では、長年の夢を叶えましたね。
河内家さん:1970年大阪万博の「日本のまつり」という全国の民謡が披露されるイベントに河内音頭だけがなかったことにショックを受け、それからずっと万博で河内音頭を歌うのを夢見ていました。吉本興業に入って最初の取材で将来の夢を聞かれたときも、「万博で歌うこと」と答え、ブリスベン万博、上海万博、愛・地球博などに呼んでいただきました。
でも、地元である大阪の万博でまだ歌っていなかったので、100%満足できてはいませんでした。とはいうものの、同じ都市で2回の万博開催は前例がありません。けれど、ある日ニュースを見ていたら、万博に大阪が立候補するというので驚き、なんとか誘致活動に関わりたくて動いてみると、経済産業省から誘致音頭を依頼されました。
そして、開催決定後は河内長野出身の吉村大阪府知事に熱弁をふるって、1周約2キロ、世界最大の木造建築物としてギネス認定された会場の巨大シンボル・大屋根リング上での8000人盆踊りを実現させたんです。当初は7000人募集で、それも集まらないだろうと見積もっていたのですが、ありがたいことにあっという間に定員が埋まりました。あれだけの人数が一斉に跳ねると、大屋根リングがちょっと揺れたと言います。
── 長年の夢がかないましたが、これからは?
河内家さん:よく「次の夢は?」と聞かれますが、2025年の関西万博で100%夢が叶いましたからね。次は、2030年にサウジアラビアでリヤド万博が開催されるので、非公式な打診もあるにはありますが、政情が落ち着いていたら、という感じです。それより、ここ数年は万博に情熱を燃やしすぎて地に足がついていなかったので、本来の活動領域である地域の盆踊りツアーに力を入れ、地域と深くつながりたいと考えています。
── 振り返って、闘病を経て価値観の変化はありましたか?
河内家さん:手術をした2011年12月25日が、大きな区切りになっています。今でも、2011年10月という日付を見れば「のどに違和感をもち始めた時期で、がん細胞が身体の中にあったときだ」、2012年2月と言えば「公演の千秋楽でいきなり歌ったなぁ」といろいろ思い出します。
決して暗い気持ちではなく、あのころはこうだった、と個人の歴史を振り返る感じです。「声帯をとるくらいなら手術はしない」と、一度は余命半年を選びましたが、会社が名医を探し出してくれて、結果オーライだったから心穏やかに振り返ることができるのかもしれません。
手術以後は、「本当はもう終わっていたかもしれない命」なので、毎日、得した気分です。今、こうしてふつうの生活ができているのは、本当にありがたいことだと思うようになりました。以前から、仕事があるのはありがたいと感じていましたが、それとは違う格別な思いを抱いています。
取材・文:岡本聡子 写真:河内家菊水丸、吉本興業株式会社
♫カーカキンキンカーキンキン♫部分は、カーキン音頭 作詞:岩本恭明、柴田俊生より引用