カーカキンキンカーキンキンとリフレインするCMがおなじみの河内家菊水丸さん。約15年前、がんが見つかり、声帯を切除して生きるか、声を出すために余命半年を選択するかの二択に、一度は余命半年を選びます。しかし、名医に出会って手術も成功し、声も出せるように。会社や結婚する妻など、周囲の支えと命に感謝をいとわない日々です。

「難手術」と聞いて声を出すのも恐る恐る

── ロックやレゲエなどを取り入れて河内音頭の可能性を広げてきた、伝統河内音頭承継者の河内家菊水丸さん。全国的なヒットを飛ばしたり、紅白歌合戦に出場したり、世界各国に招かれて歌を披露するほどの活躍を続けてきました。しかし、2011年に甲状腺がんが発覚し、「声帯をとる手術をしなければ余命半年」と診断されました。「歌い続けるために手術はしない」と一度は死を覚悟したものの、声帯を残す手術ができる医師に出会います。手術後の様子は?

 

河内家さん:手術後に麻酔から目覚めると、すぐに「声を出してください」と言われ、「あー」と発声すると、院長をはじめとする大勢の関係者全員が拍手(笑)。もともと50年前に生まれた時も仮死状態だった僕を救ってくれた病院でもあり、感謝の思いはひとしおでした。

 

退院するまでの2週間、執刀医が私の病室に毎日来て、いかに難易度の高い手術だったかを話してくれました。「がんが声帯の中に入り込んで浸潤していたので、鯛の薄造りのように薄く、これ以上削ると声帯に穴が開いて声帯を失う限界まで削った。それでも、まだがんがぎりぎり残っているかもしれないと削り続け、違う部位を貼りつけて補強する工夫も」と。私が反復できるくらい手術の話をされたので、相当、大変だったんでしょう。

 

河内家菊水丸
1990年12月、イラク⋅バグダッドでの「平和の祭典」で平和音頭を披露する河内家菊水丸一座

── 術後の経過はいかがでしたか。声に影響はありましたか?

 

河内家さん:1週間くらいは手術の跡が痛みましたが、話すこと自体がリハビリになると言われたので、我慢してしゃべっていました。でも、執刀医から「声帯の手前ぎりぎりまで削った」という話を何度も聞いていたため、「急に大声を出して、声帯が破れたらどうしよう」と、最初は恐る恐るでした。幸いにも声自体の変化はありませんでした。

 

2011年12月末に手術し、退院後はしばらく自宅で療養。年明けの3月には所属する吉本興業の創業100周年記念公演「吉本百年物語」の舞台で、河内音頭を歌う仕事が何年も前から予定されていたので、その公演を復帰の目標にしました。