巡り合った病院は私が生まれた場所だった

── 地球の裏側どころか、ほんの目と鼻の先に。ホッとしたことでしょう。

 

河内家さん:まさに灯台下暗しでした。しかも、その病院は私が産まれた病院でもあったんですよ。さらに、執刀医との面談で本名と生年月日を伝えると、先生が「この名前と生年月日に見覚えがある」と首をかしげたんです。そして、「どんなふうに産まれましたか?」と質問を受けました。私が母から聞いていたのは「へその緒が首に3周半巻きついて、なかば窒息死寸前で生まれ、25時間泣かなかった赤ちゃん」。当時は誕生後12時間泣かなければ、「残念でした、死亡です」と言われる時代でした。

 

ところが、ひとりの研修医があきらめずに、赤ん坊の私に何度も水をかけたり、ぬるま湯をかけたりして、ずっと声をかけ続け、生まれて25時間目に産声をあげたそうです。これは非常に珍しいケースだということで、院内で長く事例として共有されており、今回の執刀医もその共有情報を知っていて、あの赤ちゃんが50年経って目の前にいる私だ、と気づいたんです。

 

河内家菊水丸
甲状腺がん手術後に吉本興業創業100周年記念「吉本百年物語」開幕公演でオープニング音頭を歌って復帰(一番右が河内家さん)

── それは、運命を感じますね。

 

河内家さん:本当ですよ。先生が「50年前、うちの病院で本当は死んでいたような状況から助かったわけですから、2回目の命も私が保証します」と、言ってくださり、深いご縁を感じました。その先生は今までの手術で失敗はゼロという名医でしたが、信頼できる先生にそこまで言っていただけるなら、万一、声が出なくなってもいい、と思えました。

 

生まれたときはへその緒が首に巻きついた状態から助けられ、50年経ったら声帯にがんが巻きついて駆け込んでくるなんて。私の人生、巻きつきだらけですよ(笑)。今、こうして振り返ることができるのは、名医に出会えて声帯を残す手術が成功したからであり、本当に感謝しています。

 

取材・文:岡本聡子 写真:河内家菊水丸、吉本興業株式会社