指定難病であるHTLV-1関連脊髄症を発症し、車椅子で生活している有本奈緒美さん。自身がHTLV-1ウイルスの感染者であるとわかったのは、第2子妊娠中のときでした。3人の子どもを育てるなか、歩けなくなっていく絶望から前を向くきっかけになったのは子ども達からの言葉でした。

難病発覚、母乳すらあげられず

有本奈緒美
娘の七五三で、3人の子ども達との記念写真

── 有本さんは2014年にHTLV-1関連脊髄症と診断され、現在は車椅子で生活していらっしゃいます。HTLV-1ウイルスの感染者は全国でおよそ80万人と推定され、ほとんどが無症状なものの、まれに成人T細胞白血病・リンパ腫やHTLV-1関連脊髄症を発症することがあるそうですね。有本さんがHTLV-1ウイルス保有者だと気づいたきっかけは何だったのでしょうか?

 

有本さん:2009年、第2子の妊娠中の血液検査でわかりました。そのときは産婦人科の先生から「将来、白血病を発症するかもしれない。また、母乳によって子どもにウイルスが感染する可能性があるため、母乳をあげられない」と説明を受けました。でも話を聞いたときは何の症状もなかったので、病気についてまったくピンとこなかったんです。

 

強く意識したのは、産後の最初の授乳でした。小さなリネン室に案内され、そこでミルクを飲ませることになったんです。ほかのお母さんたちが母乳をあげているなかでひとりだけミルクをあげるのはつらいだろうという配慮だったと思います。そのときに「必死な思いをして生んだわが子に自分は母乳をあげることができない。子どもに申し訳ない」という感覚が込み上げてきて。ボロボロと涙が出てきました。

 

── 母乳でもミルクでも母親の価値に変わりはありません。しかし、その状況はつらかったですね。

 

有本さん:はい。リネン室は狭く、薄暗い部屋だったこともあって。「人目を避けなければいけないような、悪いことをしているんだ」「自分はちゃんとしたママじゃない」という気持ちでいっぱいでした。

 

その翌年に第3子を出産。この頃からだるさや高熱などの不調が起こり、足がもつれ、しびれを感じるようになりました。病院で検査も受けたのですが、当時ははっきりとした診断はなかなかつきませんでした。

人の視線が怖くなり、引きこもるように

── その後、2014年にHTLV-1関連脊髄症の正式な診断がくだります。子育ての大変な時期だったと思います。

 

有本さん:私は2回離婚をして、3回結婚しています。診断を受けた当時は、ふたり目の夫からのDVを理由に離婚して、やっと落ち着いて暮らせると安心した矢先でした。最初の夫との子どもである長男は小学生、次の夫との娘ふたりはまだ保育園生。子ども3人を抱えてどうしようと思ういっぽう、正式な診断が出てホッとした気持ちもありました。

 

── 診断の後に3人目のご主人と再婚されたそうですね。

 

有本さん:もともと長男の通っていたサッカーチームのコーチだったのが今の夫です。元夫とのことで傷ついていた子どもや私を気にかけてくれ、離婚後、親身になってくれたことが再婚のきっかけでした。

 

その頃から私は歩くのが難しくなり、当時、職業支援員として働いていた障害者の就労支援施設も退職しました。車椅子を使うようになったものの、街中で車椅子姿をジロジロ見られるようになり、外出するのが怖くなったんです。子どもと一緒に出かけたときにも、その視線を子どもも感じるようで「なんで見るんだよ」と嫌そうにつぶやいていたのを聞いて申し訳なく思い、家にこもるようになりました。