「自分に問題があると悟られたくない」と、周囲に事情を打ち明けず30歳から不妊治療を10年続けた池田麻里奈さん。夫との温度差に感じる憤り、卵子の老化やキャリアが築けないことへの焦り…。それでも「母になること」を求め続けた理由とは。

「婦人科系が弱くて」誤魔化しながら治療に通った

養子縁組を結んだ息子と鎌倉の海へ

── 特別養子縁組によりお子さんを迎えた池田さんですが、それまでは10年に渡る不妊治療、流産と妊娠7か月での死産を経験されていると伺いました。不妊治療中については職場ではいっさい伏せていたそうですね。

 

池田さん:28歳で結婚し、不妊治療を始めたのは30歳の時です。15年前の当時は不妊治療を公表している人がまだ周りにほとんどいない時代でした。職場は女性が多く、「話せばきっと理解してくれた」と今なら思います。でもその頃は「自分に問題があると思われたくない」という劣等感のようなものがありました。周りから「かわいそう」と同情されたり、気をつかわれたりするのも嫌で。治療をしていても、その様子を表に出さず、何もなかったかのように「妊娠しました」と報告したかったんです。

 

── 治療が進むと通院頻度は増えていきます。周りに伏せたまま、時間をやりくりするのは大変だったのでは。

 

池田さん:その通りです。体外受精にステップアップすると2日に1回の頻度で通院が必要になります。お昼休みをなしにして、まるで忍者のように気配を消して、2、3時間で病院に行って戻ってくる。職場には「婦人科系がちょっと弱くて」とごまかしていましたが、普段は元気なのに、あまりに頻繁に席を外して病院に行くものだから「そんなに体調悪いの?大丈夫?」と心配されていました。「不思議な人だ」と思われていたかもしれません。

 

── そうなると、働き方にもブレーキがかかってしまいますよね。キャリアをセーブして挑んでいるのに、なかなか妊娠にも至らない時期が続くと、どちらも宙ぶらりんな感覚に陥ってしまいそうです。

 

池田さん:先のスケジュールすら見通せない状況では、責任のある大きな仕事に挑戦することはできません。周りが着々とキャリアを積んでいくなかで、自分だけが足踏みをしている感覚でした。仕事の成果も掴めず、お母さんになる夢もストップしていて、「どれもこれも中途半端だ」と自分を責めていました。

 

特に35歳の手前がいちばんきつい時期でした。「35歳を境に卵子が老化する」と言われ始めた頃です。焦りだけが募り、ただひたすらクビにならないように仕事を繋ぎ止めることだけで精一杯でした。