「いつか子どもができたら」と思い描いたジュリワタイさんの将来は、「卵子の数が同世代よりも少ない」と医師に告げられ、大きく変わり始めます。夫婦間で子どもに対する考え方にズレがあった当時、彼女が決断した道は、パートナーから精子提供を受けて「選択的シングルマザー」になることでした。
「間に合わないかも…」35歳で突きつけられた現実

── 当時、婚姻関係にあった夫から精子提供を受けて娘さんを授かったジュリワタイさん。元夫が「子育てに関わらない」ことを前提に出産しました。元夫とはどういった関係だったのでしょうか?
ジュリワタイさん:元々友人関係から始まり、長い間、互いをよく知る間柄として結婚しました。ただ、結婚生活を続けるなかで「お互いが思い描いていた結婚の形にはズレがある」という話になって。仲違いしたわけではないのですが、結果的に別居婚という形をとることになりました。
その理由のひとつが、子どもを持つタイミングに対する考え方の違いでした。私は昔から子どもが欲しいと思っていたのですが、元夫は「今は考えられない」という感じが続いていて。でも育児をすることに対して否定的な意見は持っていないようでしたし、元夫のことは好きだったので、私としては「いつか考えは変わるだろう」と気楽に考えていた部分がありました。
── 転機になったのは、30代半ばで婦人科へ行ったことだったそうですね。
ジュリワタイさん:年齢的な制限に対する焦りもあって婦人科で検査を受けると、卵胞刺激ホルモン(FSH)の値が高く、卵巣の機能停止が近いため、妊娠が簡単ではないと診断されたんです。「今どきは高齢出産も当たり前だし、大丈夫でしょ」と思っていたので、現実を一気に突きつけられた感じでした。「待っている時間はないかもしれない」と焦りましたし、「自分はどうしたいんだろう」と本気で考えました。
── 最初から当時の夫に精子提供を依頼しようと考えていたのでしょうか?
ジュリワタイさん:別の人と新しく出会って関係を築き、妊娠して…ということを考えると、新たなパートナーを探すことは時間的にも厳しいと思いました。それ以外にも、離婚して第三者から精子提供を受けることについて調べたんです。でも当時私が調べた情報だと、日本産婦人科学会のガイドライン上はそもそも法律婚をしている夫婦間でしか精子提供を受けることができないということでした。
── そこで、当時はまだ婚姻関係にあった元夫に精子提供をお願いしたんですね。
ジュリワタイさん:かなり悩みましたが長い間、一緒にいて縁があった人なのでお願いしてみようと思ったんです。ところが当時、元夫はプライベートでいろんなことがあり「自分は今、子どもについて考えられる状況ではないので、何もできない」と言われてしまいました。
── 精子提供には応じられない、という意味ですか?
ジュリワタイさん:「協力するよ」というような肯定的な言葉はありませんでした。いっぽうで、「長い間、一緒にいたのに、君の望みを叶えてあげることはできなかった。だから、『ダメだ』と言う資格もない」と。そこで「あなたに迷惑もかけないし、お金も請求しない。全部一人でやるから」とお願いした結果、最終的には精子提供に同意をもらったんです。その後、無事に妊娠した後、離婚をしました。
── 離婚や死別によってではなく、みずからの意思で子どもを持って一人で育てる「選択的シングルマザー」という言葉があります。
ジュリワタイさん:当時はその言葉を知りませんでしたが、結果的にそのような形になりました。ただ、一人で育てることになるので、そのための準備もしようと妊娠中からいろいろと計画していました。
── 経済的な不安にはどう向き合いましたか?
ワタイさん:フリーランスなので経済的な不安は当然ありました。ただ、貯蓄はあったので、治療費だけでなく出産後しばらく働けない期間も見据えてお金のシミュレーションをしっかり行いました。顕微授精にも費用がかかるため、「治療は何回まで」と予算を決めていましたし、残ったお金から逆算して「どこの産院にするか」「無痛分娩は諦めるか」なども考えていました。復帰時期や働き方も妊娠中から考えて行動していましたね。
── 子どもを育てる環境についてはどうでしたか?
ジュリワタイさん:出産前に夫と別れて子どもを育てているシングルマザーの方の手記を片っ端から読んだんです。いろいろなシミュレーションをした結果、働きながら子どもを育てていくために、実家に戻ることを決意しました。
「しっかり働きや」母の言葉と、実家への帰還
── 出産でご実家に戻ったのですね。
ジュリワタイさん:緊急帝王切開になったので、手術同意のサインは母にしてもらいました。娘を初めて見たときは「本当に人間が入っていた!」と、命の神秘さに強く感動したのを覚えています。
── 元夫からの精子提供と、子どもをシングルで育てていくことに対して、ご両親の反応はいかがでしたか?
ジュリワタイさん:すごくびっくりはしていましたが、しっかりと経緯を説明し、「本当に迷惑をかけるけれど、一緒に住んでもらえませんか?」とお願いしました。母からは「しっかり働きや」「頑張りなさい」という言葉をもらい、ありがたかったですね。
とはいえ、両親も70歳を過ぎていて高齢なため、頼りきりというわけにはいきません。実際にコロナ禍のときは「発熱した子どもの看病は責任をもてない」と言われました。両親には負担をかけすぎないようにしたかったので、その線引きをしてくれたのはこちらとしても助かったんです。ただ、普通の働き方で子どもを育てていくにはなかなか難しいと実感しました。