「残った人だけ大事にしよう」

── ステキな言葉ですね。
佐藤さん:はい。今まで私は、何をしても「普通じゃない」と言われて、ひどいことを言われたり、無視されたりしてきました。でも、何より怖かったのは、本当の自分を出すことで人に嫌われたり、周囲の人が離れていってしまうことでした。そんななか、母のその言葉を聞いて、気持ちがふっきれたんです。「残った人だけ、大事にすればいいんだ!」って。そう思えたことで、「公表しよう」と思えるようになりました。
当時は、うまくいくかどうかとか、公表して何が変わるのかとか、そこまで深くは考えていませんでした。ただ、それまで本当の自分を隠してきたことで、たくさん傷ついてきたんです。だったらもう、今の自分の気持ちに従おう。そう思ったんです。
── 自分のなかで覚悟がついたんですね。
佐藤さん:はい。もちろん、公表するかどうかは本当に人それぞれで、自由なものだと思います。でも私は「もう隠さなくてもいいかな」と思って、性別を公表することにしました。失うものはなかったし、何より、密告されたり、ずっと隠し続けて生きてきたことに疲れていたんです。
── 公表後はどうでしたか?
佐藤さん:反響はすごく大きかったです。でも、きちんと公表したことで、逆にお仕事は増えました。もちろん、離れていく人もいましたし、徐々にフェードアウトしていった人もいます。でもそれって、別にカミングアウトに限ったことじゃないですよね。人間関係では、よくあることだと思ったんです。人に嫌われることを怖がっていたら、自分のいいところまで出せなくなってしまう。そう気づいて、「みんなに好かれようとするのは、もうやめよう」って決めました。
── マインドが変わったんですね。
佐藤さん:はい。気持ちがふっきれてからは、本当に環境も変わりました。理解してくれる人がたくさんいることに気づいたんです。その後、名古屋から東京の事務所に移って、芸能活動の幅は広がっていきました。「残ってくれた人を大切にしよう」って、心から思いました。公表したあとも、がんばろうとすると意地悪をする人は出てきました。でも、「こんなことで止まらない」と必死に乗り越えていくうちに、結果的にはいい方向に進むこともあるんだと実感しました。そんな感じで、20代はとにかく仕事に全力を注いでいましたね。

── 当時、いろんなジャンルのお仕事をされていたように思います。
佐藤さん:基本的には来た仕事にはなんでも挑戦しました。大きな目標があったわけではなく、ただ目の前のことに必死に取り組む毎日でした。もともと好奇心がすごく強かったんです。いろんなジャンルのお仕事を経験できて、楽しかったですね。お仕事を通じてたくさんの経験を積めたことには、今も感謝しています。
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モデルやタレントとして多くの経験を積んできた佐藤かよさんは、20代から海外を頻繁に訪れ視野を広げてきました。異なる文化や価値観に触れるなかで感じたことは「どの国に行っても、人間の悩みの本質は変わらない」ということでした。結局、海外に行っても自分のことを理解してくれる人がたくさんいるわけではない。だからこそ、自分を理解して、認めてあげられるのは自分しかないと気づき、「自分だけは自分の敵にならないでいよう」という思いが強く芽生えたそうです。
取材・文/大夏えい 写真提供/佐藤かよ