介護ってこういうもんかと思っていたが

松嶋尚美
52歳のお誕生日に

── お母さんと同居を始めた後に、引っ越しもされたそうですね。

 

松嶋さん:エレベーターつきのマンションで、段差がない部屋に引っ越しました。トイレも5人いると混み合うので、ひとつは母専用。母が使っていないときはほかの人も使っていいことにして。手すりも新たにつけたので、母が手すりを把持しながら1人でトイレまで行けるようになり、だいぶ楽になりましたね。

 

── お風呂はどうされていますか?

 

松嶋さん:私と母で入ることが多いですが、去年くらいまでは、娘が「おばあちゃん、一緒に入ろう!」と声をかけて、私と母と娘の3人でよく入っていましたね。ちっちゃい湯船に3人で浸かりながら「もっと右!」「もっと左に行って」とワイワイしながら入る時間は楽しかったです。娘が髪や体を洗っているときは、私が湯船で母を支え、母が髪や体を洗うときは、私か娘が後ろから母を支えます。お風呂から上がった後は娘が母の体を拭いてくれるなどすごく協力的ですね。

 

── 日々、お母さんの介護をしているなかで、お母さんの発言で驚いたこともあったそうですね。

 

松嶋さん:衝撃でしたね。母と一緒に大阪に帰ったとき。母が大阪の友達に「東京の生活最高!私はお姫様扱いやで」と言ってるのを聞いてしまったんです。私たちが介護をすることを、そんなふうに思っていたんだと。

 

この話をケアマネージャーさんにするとひと言、「手伝いすぎです!」と言われました。食事も食べやすいだろうと思って細く食材を刻んでいましたが、母の状態ならそこまで刻む必要はないと。お風呂も自分で洗える部分は洗ってもらう。着替えも全部手伝うのではなく、腕を通すところは手伝って、裾を伸ばすのは自分でやるとか。手伝う部分と見守る部分があって、なんでもかんでも手伝うわけじゃないと言われました。逆に、手を出しすぎることによって、今できることもできなくなってしまうリスクもあるんだと。自分では、介護とはそういうもんだと思ってなんでも手伝っていたつもりですが、まぁまぁ驚きましたね。

 

── その後、介助の仕方は変わったのでしょうか。

 

松嶋さん:自分で出来ることは、極力自分でやってもらうようにお願いしました。実際、今まで「自分で靴下履かれへん」って言っていたんですけど、たまたま寒い日にベッドの横に靴下を置きっぱなしにしていたら、自分で履いてるんですよね。たしかにこっちが介助した方が早いなって思うこともあるんですけど、母ができる能力を奪わないように手伝えたらなと思います。また、母の体の状態も常に変わっていくので、観察していく必要もあるんだと知りました。

 

 

介護に加え、最近では更年期の症状がで始めたという松嶋さん。2人のお子さんの子育ても重なり、しんどいときもあるそうですが、あまり力まずにやっていけたらと語ってくれました。

 

PROFILE 松嶋尚美さん

まつしま・なほみ。1971年生まれ。大阪府出身。93年お笑いコンビ・オセロとして活動。08年に結婚し、11年に長男、13年に長女を出産して2児の母。13年コンビ解散後もソロとして活躍中。

 

取材・文/松永怜 写真提供/松嶋尚美