出演すればその風格やオーラで、舞台の質を引き上げる存在ともいえる渡辺えりさんは、66歳にして大手事務所を円満退社して独立しました。何もかもがイチからになる独立を果たした訳とは?(全4回中の4回)
「仕事ができるのはあと10年ほど」全力でやろうと決めて
── 今年1月に70歳を迎えた劇作家で演出家、俳優の渡辺えりさん。2021年には所属事務所を離れ、個人事務所を設立。66歳という年齢で新たなスタートを踏み出す決意をされたのは、どういう思いがあったのでしょうか?

渡辺さん:コロナの影響で劇場が空いてしまい、困りはてた劇場側から、「コロナ禍でもできるお芝居をやってもらえないか」と依頼されたんですね。そこで、1週間で戯曲を書き上げた『さるすべり~コロナノコロ~』という2人芝居を始め、4つの芝居を同時期にやったんです。
── 同時期に4つのお芝居とは、すごいスケジュールですね。かなり大変だったのではないですか?
渡辺さん:2か月くらい毎日、9時から深夜23時まで芝居漬けの生活でした。でも、それがすごく楽しくて!そもそも自分はなぜ18歳で山形から上京したのか、どうして芝居をやっているのかなどと、いろいろなことを考えていたら、当時の気持ちがよみがえってきて、本当に大切なものに気づかされ、初心にかえったんですね。
いつの間にか、もう66歳。「自分のやりたいことを思いきりできるのは、あとどれくらいだろう」と考えました。私の母が78歳で認知症を患っていたので、いずれ自分も同じようになるかもしれない。そう思ったら、元気に動けるのは、あと10年程度かもしれないなと。いまのままでは、自分が本当にやりたいことが何も成し遂げられずに終わってしまうのではないかという気がしたんです。
「伝え続けたいこと」の実現に向けて独立
── 成し遂げたいことといいますと?
渡辺さん:私がずっと願い続けてきたのは、世界が平和であること、誰もが自分らしく幸せに生きることができる社会です。「戦争を止めよう」「格差をなくそう」と芝居を通じて訴えかけていくこと、そしてもうひとつ、故郷の山形で自分が作った芝居を公演することでした。

でも、それらは、事務所に所属していると実現するのが難しかった。山形での公演はなかなかできなかったし、政治的な発言はCMなどの関係から制限があってできない。所属事務所の社長さんとも話し合いましたが、やっぱり自分がやりたいことをできないまま死んでいくのは嫌だったんですよね。そうした経緯があって、長年お世話になった事務所を円満退所し、独立することにしました。いまは、自分がやることはすべて自己責任。政治的な発言もできるようになりましたし、念願だった山形での公演も行っています。
── できなかったことを存分にやる。信念を貫くための決断だったと。
渡辺さん:ただ、体力には限りがありますから、もっと若いときに決断していればよかったなという思いもあります。ですから、体と頭が元気なうちにやりたいことをやろうと決め、私の思いの原点である「反戦、平和への祈り」「フェミニズム(女性問題)」をテーマにした『鯨よ!私の手に乗れ』と『りぼん』という2本の作品を、古希記念の公演として今年の1月に連続上演しました。その後、休む間もなく2月には『三婆(さんばば)』というお芝居に突入し、いまに至ります。