「渡辺えり子」から「渡辺えり」へ改名したのは2007年のこと。病気がちだった彼女に改名を進言したのは美輪明宏さん。ずっと体調がよくないといいながら、いまもパワフルに舞台をかけ回れるのは名前のおかげもあるそうで。(全4回中の3回)

パワフルな人に見られがちだけど「実は病気がち」

── 俳優、劇作家、演出家として、長年演劇界の第一線で活躍する渡辺えりさん。古希を迎えても、いまなお全速力で走り続けるパワフルさには驚かされます。

 

渡辺えり

渡辺さん:元気な役が多いから、パワフルに見えるだけじゃないですかね?よくエネルギッシュとかパワフルとか言われるのですが、自分ではまったくそうは思っていないんです。子どものころは病気がちでしたし、いまだってそれほど丈夫ではないです。それなのに、必死で走り続けているものだから、満身創痍の状態ですね。

 

10代で盲腸や蓄膿症、33歳のときには子宮内膜症の手術も経験しています。いちばん大変だったのは、52歳のとき。喉に膿がたまってしまったんです。最初は軽い痛みでしたが、だんだんひどくなって、夜も眠れないほどに。病院で診てもらったところ、すぐに手術を受けることになりました。「死ぬかもしれない」とまで言われ、すごく怖かったですね。実は「渡辺えり子」から「渡辺えり」に改名したのも、このときなんです。

 

── なにかきっかけがあったのでしょうか?

 

渡辺さん:20代のころからの恩師である美輪明宏さんから、ある日の朝8時半に突然、電話がかかってきて「『渡辺えり子』は画数が悪くて、苦行僧があえて苦労をするためにつける名前だから、『えり』に変えたほうがいい。そうでないと、身体を壊すよ」と言われたんです。病気のことは誰にも言っていなかったので、驚きました。「若いころなら苦労をするのもいいけれど、もう50を過ぎたのだから、落ち着いて暮らしてもいいんじゃない?」と。

 

渡辺えり
2025年1月に行われた古希の連続公演に向けて稽古中だったころの渡辺えりさん

── 世間的には「渡辺えり子」という名前で広く知れ渡っていました。改名することに、ためらいはなかったですか?

 

渡辺さん:ありましたね。そもそもうちの父が『えり子とともに』というラジオドラマが大好きで、「自分の娘も主人公のえり子のように、明るくて知的な女性になってほしい」という思いをこめてつけてくれた、大切な名前です。私も自分の名前が大好きでした。

 

でも、美輪明宏さんも私にとって尊敬する方です。それに、昔、劇団の名前を「2○○(にじゅうまる)」から「3○○(さんじゅうまる)」に変えたのも、「2という数字では空中分解してしまうから3に変えたほうがいい」という美輪さんの助言によるものでした。それまで劇団員の家族が急に亡くなったり、ケガをしたりするなど、よくないことが続いていたのですが、劇団名を変えたらトラブルが減って、その後は何ごともなく過ごせたんです。そうしたこともあって、「渡辺えり」にしようと決めました。

 

ただ、改名しても、その名前が世間に定着しなかったら、意味がないらしくて。いまだに「えり子さん」と呼ばれることが多いので、それなら、そろそろ「えり子」に戻してもいいのかもしれないなと、悩んでいるところですね。