柄本明さん家族とは「血のつながった犬」友の仲
── 老犬になると夜泣きなどがあります。介護は大変だったのではないですか?
渡辺さん:犬は徘徊したり、鳴いたりしますからね。愛子も、寝たきりのような状態にだんだんなり、夜中や明け方に哀しい声で吠え続けたりしていました。立てない足をずっと健気に動かして…。きっと歩きたくて仕方なかったのでしょう。トイレも外でしたがりました。最後まで懸命に生きようとする姿に「すごい犬だな」と心打たれましたね。愛子が旅立ったのは、主演舞台の千秋楽の日でした。「ああ、私を待ってくれたんだな」と。最後まで、本当に立派な子でしたね。

愛子は2匹の子どもを産んだのですが、1匹は「笑子」と名づけ、そのままうちで飼っていました。もう1匹の「ナナ」は、俳優の柄本明さんのお宅へ。ナナは子どもを産んで、いまやひ孫までいるそうです。柄本さんの長男、俳優の柄本佑さんや奥さんの安藤サクラさんが散歩をさせている姿をみかけたりします。
笑子は高齢になって認知症になってしまい、最後は愛子と同じように白内障で両目がほとんど見えず、耳も聞こえにくくなっていて、介護はなかなか大変でしたね。仕事で家を空けることが多いので、亡くなる前の半年間くらいは、犬の介護施設でめんどうを見てもらっていました。
── 犬にも介護施設があるのですね。
渡辺さん:専門のスタッフがいて、室内運動をさせてくれたり、健康状態をみてくれたりするので安心感があります。ただ料金は人間並みで、月に14万円くらいかかりました。ちょうど母の介護施設の料金と同じ額です。
家族の一員である大切なペットを失うことは、ものすごくつらいし、ガックリときます。ただ、いつまでも泣いているわけにもいかないですよね。どうしようもなくせつない感情に折り合いをつけながら、みんな前を向いて生きていくのだと思います。
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家族やペットの死を目の当たりにしていくなかで、つねに「死」と向き合っていると話してくれた渡辺えりさんは、いまも亡き父が漏らした言葉が死生観の礎(いしずえ)になっているそうです。
PROFILE 渡辺えりさん
わたなべ・えり。1955年、山形県生まれ。「オフィス3○○」主宰。1983年、『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞。以来、現在に至るまで、舞台や映画、テレビ、歌、戯曲やエッセイ執筆など、幅広く活躍。主演公演『唐十郎追悼公演「少女仮面」』(6月11日〜22日・下北沢スズナリ)、『70祭 渡辺えりコンサート ここまでやるのなんでだろ?』(12月20日・21日・池袋プレイハウス)が開催予定。
取材・文/西尾英子 写真提供/渡辺えり