「あなたはがんにかかっています」と、突然医師から宣告されたら、何を思い、家族にどう伝えるか。ふつうは悲嘆にくれる状況ですが、ステージ4の肺腺がんと診断されたピアニストの竿下和美さんは違いました。その姿勢は力強く、家族愛にあふれてました。(全2回中の1回)
「咳が止まらず病院へ」ステージ4の肺腺がんが判明
── ピアニストであり、音楽があふれる町づくりを目的に活動するNPO法人「京田辺音楽家協会」理事長の竿下和美さん。がんの闘病中だそうですが、病気に気づいたきっかけは?

竿下さん:2023年の年初、なかなか咳がとまらず「風邪かと思って」受診し、肺炎の診断を受け、しばらく肺炎の治療をしました。それでも治らないので精密検査をしたら、ステージ4の肺腺がんが判明したんです。医師には「肺腺がんは症状が出にくく、気づいたらステージ4くらいまで進んでいることが多い」と言われました。そういえば2年前の定期健診で「肺に要確認の影あり」と、診断されていたのを思い出しました。でもコロナ禍に入り、医療施設に行きづらく感じ、健診を受けない年があったんです。その間にがんが進行していたようです。当時、咳以外に自覚症状はありませんでした。
── 自覚症状があまりないまま、ステージ4。突然の診断にショックを受けたのでは?
竿下さん:ショックはなく、多忙な生活をしていたので「しかたがない」と受けとめました。その後、「余命を聞くか聞かないか」の選択ができたので、家族と一緒に聞きました。データによると、私の場合は1年半持つかどうか。5年生存率は10%。夫は落ち込んでいましたが、私は「まだ1年半ある。いろいろ準備できる」と、前向きにとらえました。

── 旦那さんはショックを受けたものの、ご自身は前向きに。その後の治療は?
竿下さん:もう手術できない段階でしたので、抗がん剤治療をすぐ開始しました。新しい抗がん剤に変えるときだけ10日程度の入院が必要でしたが、基本的には3週間に1回の通院で済んでいます。いまは、医療が進んで抗がん剤も種類がたくさんあります。また、同じ抗がん剤でも、人によって効き方や副作用は異なります。私の場合は、脱毛すると言われていましたが脱毛せず、抗がん剤治療後も、吐き気や風邪のような症状が少しあらわれるくらい。でも、副作用として高血圧になり、足がむくんでいます。私は副作用が足に集中しているので、まわりにバレにくいんですよ。
いまのところ、肺以外への転移は抑えられています。以前よりは睡眠時間を確保してしっかり休むようにしていますが、それほど変わらない生活を送っています。咳もほとんどおさまっています。
「ママは死なないって信じてるから」と娘に言われ
── 外見や生活に大きな影響は出なかったんですね。ご家族はどのように感じているのでしょうか?
竿下さん:夫と娘もそれぞれ変わらない生活を送っています。というのは、私の病気に家族を巻き込みたくない、と私が考えているからです。病気を家族の中心に置くと、家族がしんどくなるのを私自身が経験しました。私の母もがんだったので、患者の家族の大変さは身にしみています。もちろん、症状が深刻になれば家族を頼りますが、夫や娘に一日中、私の病気のことを考える生活を送ってほしくないんです。だから、夫と娘には、それぞれの目標ややるべきことを楽しんで、と伝えています。
── その言葉を聞いて、ご主人や娘さんは?
竿下さん:夫は最初落ち込んでいましたが、以前から夢だった資格の勉強にチャレンジしています。もし私の症状が進んで、つき添いや看病が必要になっても、夫が資格をとって独立していたら、会社員時代よりは柔軟に対応できると気づいて、やる気が出たみたいです。
さすがに大学生の娘は「最初、泣くかな?」と思いましたが、余命宣告を冷静にかみしめて聞いていました。娘から先に「ママは死なないって、信じているから大丈夫」「私は私の人生を楽しむから、ママはママでがんばって」と言ってくれました。言葉どおり、学生生活を思いきり楽しんでますよ。
── 家族が病気になると、まわりはいろいろ我慢したり、サポートしなければという気持ちを持つこともあります。でも、病気の影響を受けず、家族それぞれやりたいことに打ち込むのは病気とのいいつきあい方ですね。
竿下さん:夫も娘も、私が「病気に負けない」と信じてくれています。これが「チーム家族」として病気に立ち向かうエネルギーになっています。母ががんになった際の経験からですが、病気になると家族は、その原因を探したがります。実際、当時、父は「俺が苦労をかけたからだ…」と原因を自分に求めました。でも、本当の原因は誰にもわからないですよね。夫や娘に「自分たち(夫や娘)がムリさせていたのかも」なんて考えてほしくないし、堂々と自信を持ってやりたいことをやり抜いてもらいたいです。