気仙沼にトランポリンを送った理由

左「ホヤぼーや」と「あんばちゃん」のトランポリン。

── チャリティーで集めたお金でトランポリンも贈られたそうですね。

 

マギー審司さん:避難所から仮設住宅にだんだん移っていったころには、物資よりも気持ち、心のケアのほうが必要かなって思うようになって。「大人が笑う瞬間って子どもたちが笑ってるときかもしれない」「子どもたちが笑顔になるものってなんだろう」って考えたらトランポリンが浮かんだんです。トランポリンで飛んだり跳ねたりしながら、みんなでワーって大きな声を出して騒いでいる子たちを見ていたら、みんなが笑顔になるんじゃないかって。

 

自分でトランポリンの会社を調べ、担当者の方に自分の思いを伝えると、会社の方もすごく共感してくださいました。我々も何か支援したい。お値段も安くさせてくださいとおっしゃってくださって。「ホヤぼーや」トランポリンのデザインはチャリティチームで考え、「あんばちゃん」トランポリンは気仙沼の小学生の女の子が考えてくれました。各被災地に持っていくと、みんな喜んでくれましたね。

 

── 被災地に何度も行くうちに、マギーさん自身の気持ちの変化もあったそうですね。

 

マギー審司さん:はじめは自分の家族や親戚、友達たちが電気もなくて水道も使えず、寒くて不自由な環境で必死に耐えているのに、自分は暖かいところで生活していていいのかなって思ったんです。自分も被災地に行くと、電気を消してストーブやエアコンも全部つけずにしていましたが、ラジオで共演した作家の先生に言われたんです。溺れている人を助けるには、自分が溺れていたらダメだと。たしかにそうだ。自分がまず健康でいないといけないし、自分が明るい顔でみんなの笑顔を増やしていかないとって思ったんですよね。

 

── その流れでしょうか。マギー審司さんが主催して、東京でチャリティーボウリングを行ったとか。

 

マギー審司さん:はじめは震災が起きた年、こんな大変な時期にいいのかって迷いましたが、大事なのは支援金を募って、被災地を応援すること。チャリティーを長く継続させるためには楽しみながらやった方がいいと思ったんです。また、津波で倒壊したボウリング場が復活してからは、毎年3月頃に東京から芸能人や有志のみんなで気仙沼のボウリング場でチャリティーボウリング大会を開催しました。コロナ前は、ここで婚活イベントをしたこともありますよ。

 

── 震災から14年。時間の経過と共に世間の関心が薄まることを懸念する声もあります。風化についてどう思いますか。

 

マギー審司さん:やっぱり忘れちゃいけないし、忘れてほしくないと思います。

 

僕は両親がそれぞれ5、6年前に亡くなっています。喪失をずっと引きずってはいないけど、だからといって忘れることはありません。両親に感謝をし続けながら、日々を過ごしています。震災も同じだと思うんです。忘れちゃいけない。けれど同時に、前に進んで行くことも大事だなと思いながら今も日々を過ごしています。

 

PROFILE マギー審司さん

まぎー・しんじ。1973年生まれ。宮城県気仙沼市出身。小学生の頃からマジックに興味を持ち、高校卒業後単身でアメリカに渡り、1年間プロのマジシャンの下で本格的に修行をする。帰国後プロの道を目指しマギー司郎に弟子入り。マジックでライブ、テレビ、イベントにて活躍中。

 

取材・文/松永怜 写真提供/マギー審司