今、マジックをしてもいいのだろうか

── ご家族の無事を確認しながら、炊き出しなどのボランティア活動をされていました。被災地では、マジックも披露されたのでしょうか?
マギー審司さん:自分からやりますとは言わなかったけど、何かのタイミングでやることがあれば…と道具はいちおう持って行ってたんです。「マジックをしてほしい」というお声をいただいたので、「この状況でやっても大丈夫ですか?」と聞くと、「今、そういうの喜ぶからやってよ」と。実際やってみたら「震災後、初めて笑った」と言ってくださる方がいて、あぁ、僕らの仕事ってこういうことなのかなって思いました。
家が流されてしまった方、家族が亡くなってしまった方など、被災者とひと言で言っても状況がそれぞれ違うし、いろんな感情があると思うんです。それでも笑ってるときって一瞬でもつらさを忘れることができるのかなって。「やっと笑えたよ。ありがとう」って言われたときに、無理矢理にでも口角上げて笑顔を作ることも大事なのかなって思いました。僕たちが帰った後もつらい日々が待っているかもしれないけど、一瞬でも笑っている時間が作れたら。そう思いながら、炊き出しのボランティアをしつつ、避難所を回ってはマジックをするようになりました。
── マジックをすると、皆さんすぐに笑顔になりましたか?
マギー審司さん:だいたいの方は笑ってくれましたが、やっぱりなかなか笑えない子もいました。兄の子どもも笑顔が出るまで時間がかかりましたし、僕の同級生の子どもは、マジックはおろか、しばらくはお母さんがいないと学校に行けない子もいて。僕が気仙沼に行ったときは震度6の余震がきたときもありましたし、不安は抱えて当然ですよね。
── 1回の滞在で被災地にはどれくらい滞在したのでしょうか?
マギー審司さん:2泊とか3泊くらいだったと思います。震災から半年くらいは少なくても隔週くらいのペースで被災地に行ってたんじゃないかな。仕事が全部キャンセルになってしまったので、今できることをしようと。ほかにも一緒に行きたいという人がいたので、3、4台の車で行きました。気仙沼の避難所を地元の人に調べてもらって、小さいところから大きいところまで全部回ろうと。たしか70か所くらいかな。1回に10か所くらい回っていました。途中から仕事のロケでも被災地に行くようになりましたが、震災から数年間は毎年足を運んでいました。
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被災地のボランティアを続けたマギー審司さん。あるとき、炊き出しをしている最中に両手に持ったクレープを配ろうとする小さい女の子と出会います。「被災地の方は支援を受ける場面が多いけど、自分たちも人に何かをしたいという気持ちがあるんだ」と実感したマギーさん。その出来事を機に、支援の形が少しずつ変わったそうです。
PROFILE マギー審司さん
まぎー・しんじ。1973年生まれ。宮城県気仙沼市出身。小学生の頃からマジックに興味を持ち、高校卒業後単身でアメリカに渡り、1年間プロのマジシャンの下で本格的に修行をする。帰国後プロの道を目指しマギー司郎に弟子入り。マジックでライブ、テレビ、イベントにて活躍中。
取材・文/松永怜 写真提供/マギー審司