「怖さよりも、魂がポカーンて抜かれたような感じだった」と当時を振り返るマギー審司さん。震災後はいち早く現地入りをし、復興支援を続けてきました。被災者が直面する状況を肌で感じながら、マギーさん自身も、芸人として葛藤が生まれます。(全2回中の1回)
高台に逃げてもダメなんじゃないか

── 宮城県気仙沼出身のマギー審司さん。2011年3月に東日本大地震が発生したとき、どこでどのように過ごされていましたか。
マギー審司さん:品川駅でマネージャーさんと待ち合わせをしていましたが、大きな揺れを突然、感じました。周りを見ると高層ビルが揺れていて、建物から一斉に人が飛び出してきて、ただごとではないなと。マネージャーさんとは会えましたが、その日の仕事はキャンセルになり、家に急いで帰りました。
── 東京の家族は無事だったそうですが、気仙沼の実家に住んでいた両親と弟家族、そして、少し離れたところに住んでいた兄家族とは連絡がついたのでしょうか?
マギー審司さん:弟とはメールのやり取りが2回くらいできて、みんな高台に避難したとあったんですけど、そこから連絡が途絶えてしまって。震災が起きたのが15時前。でも、ニュースでは気仙沼の情報がなかなか入ってこなくて、僕がテレビで確認できたのは18時か19時くらいでした。気仙沼が火事になっている映像が流れて。「あぁ、これは高台に逃げても無理なんじゃないか」「兄の家は海が近かったけど大丈夫なのか」「両親は?弟たちは?」って頭が真っ白になっちゃって。怖さよりも、ポカーンって魂が抜かれたような感じでした。
── その後、どうやって気仙沼の家族と連絡がついたのでしょうか?
マギー審司さん:震災から2日後くらいですかね。それまで全く連絡がつかなかったのですが、新聞を見たら「マギー審司の家族は大丈夫だった」といった記事が出ていたんです。父がヘドロの掃除をしている写真が載っていて、「あ、生きてたんだ…!」と新聞で知りました。ほかにも、母や弟家族、兄家族の無事が確認できました。ただ、僕は当時ブログをやっていましたが、ブログにDMが届いて「おばあちゃん残念でした」とあったんです。僕が身内から確認する前の話ですが、このDMの後に現地の人に確認がついて、あぁ、ダメだったんだと知りました。
── 気仙沼には震災から1か月後に行かれたそうですが、周りの関係者とも連絡を取り合っていたそうですね。
マギー審司さん:まず、震災が起きた日に気仙沼でロケをしていたサンドウィッチマンと震災当日か翌日に電話がつながって。状況を聞くと大変なことになっていると。そこから3、4日後にロンドンブーツの田村淳さんがX(当時はTwitter)で、渋谷で支援物資を募っていると知りました。僕は家にいてもつらかったし、いてもたってもいられなくなって現場に行ったんです。淳さんに「僕、気仙沼出身なので一緒に立たせてもらってもいいですか」と聞くと「是非ぜひ」って。一緒に物資を募りながら、震災から1か月後くらいにドロンズの石本さんと2人で気仙沼に行きました。
── 気仙沼について、ご家族とはすぐに会えましたか?
マギー審司さん:会えました。家の中にも水がかなり入ってきたと聞いていましたが、家は壊れておらず、部屋も綺麗に掃除がされていました。たぶん、皿とかグラスは割れたと思うんですけど、全部処分されていました。父親のプライドなのか、子どもを不安にさせたくないという思いがあったんでしょうね。もう大丈夫だよ、といった感じで接してはくれました。