つんく♂さんプロデュースのアイドルとしてデビューした時東ぁみさんは今年でデビュー20周年。元祖眼鏡っ娘として人気を博していましたが、実は現在は防災士としての活動がメインになっているそう。そこにはタクシードライバーとして時東さんを育てた父の影響があったそうで──。(全3回中の3回)

ひとりEXILEの曲を歌ってデビューが決まり

時東ぁみ
ロケ先の防災センターで

── 17歳のころに「ミスマガジン2005つんく♂賞」でデビューされていますが、芸能界に憧れがもともとあったのでしょうか?

 

時東さん:まったくありませんでした。グラビアアイドルの友人がいたのですが、その子が所属する事務所の社長が「胸が大きくて背が小さい子を探しているけれどいない?」と友人に相談したんです。それで友人が私を社長に紹介してくれて、その方が「ミスマガジン2005」に私のことを応募したんです。

 

私自身は応募したのがそんなに大きい大会だと知らず、気づいたらベスト16に進んでいて…。特別審査員につんく♂さんがいることも知らなかったので、アカペラ歌唱ではみんながハロプロの曲を歌うなか、ひとりだけEXILEさんの曲を歌っていたくらいです。

 

── なのに、結果的にはつんく♂賞を受賞したんですね。

 

時東さん:悪目立ちしていたと思いますが、つんく♂さんはおもしろく思ってくれたのかもしれません(笑)。芸能界デビューするつもりは全然なかったのですが、賞を受賞すると考える暇もなく、次々と仕事が舞い込んできました。決まった仕事を一生懸命こなす日々で、自分が知らない自分になっていくような感覚。楽しかった高校にもなかなか通えなくなり、点滴を打ってから現場に行くような忙しい日々でした。

 

時東ぁみ
デビュー後、順調に仕事をこなす時東さん

── つんく♂さんプロデュースのアイドルだったため、ご本人とお仕事する機会は多かったと思います。印象に残っていることはありますか?

 

時東さん:そのころは毎日忙しすぎて、食事は現場で時間が空けば食べるというような感じでした。でも、つんく♂さんは絶対に食事をとる時間を取ってくれたんです。つんく♂さんのつき人の方がご飯を作ってくれて、それをつんく♂さんと一緒によく食べました。すごく親身になって話を聞いてくれて、本当に優しい方です。

 

── そのような忙しい状態はどれくらい続いたのですか?

 

時東さん:4〜5年くらいは続いたと思います。そのころから自分でやりたいと思ったことをもう少ししたいと考え、20代前半で一度事務所を辞めることに。しばらくはフリーで活動していましたが、スケジュール管理などが大変で、その後に現在の事務所にお世話になることになりました。今は台本や指示だけに頼らず、自分で発信することを考えたり、自分で仕事を取ってきたりと、好きな形で働くことができています。

 

忙しすぎたときは本当につらかったんですが、支えてくれたのは小学校1年生からの友人たちでした。私のことを芸能人扱いせずに変わらず接してくれて、間違っているときは「それは普通の感覚ではない」ときちんと教えてくれました。そのおかげで、今も普通の感覚を持ちながら生きていられるのだと思っています。